さくらの奥三河花祭巡礼:マレビトの訪れる夜


皆様、こんにちは。さくらです。

今回、私は奥三河の花祭を訪ねる機会に恵まれました。この古式ゆかしい祭りは、かつて民俗学者の折口信夫が注目し、「マレビト」という概念を生み出すきっかけとなった行事です。その地を訪れ、自らの目で見、体験することで、日本の伝統文化の深層に触れる貴重な経験となりました。

## 花祭前夜:マレビトを待つ村

豊根村に到着したのは、花祭の前日でした。村全体が、何か特別なものの到来を待ちわびているような空気に包まれていました。

宿の女将さんが教えてくれました。「花祭は、マレビト、つまり来訪神を迎える祭りなんですよ。普段は見えない神様が、この夜に里に降りてくるんです」

折口信夫の言葉が蘇ります。マレビトとは、異界からやってきて福をもたらす神のこと。その概念が、この山深い地域で生まれ、伝承されてきたことに、深い感銘を受けました。

## 花祭の夜:神々との邂逅

祭りの中心となる宮澤屋には、大勢の人が集まっていました。中央には四本柱が立てられ、その周りを囲むように見物人が座っています。

やがて、太鼓と笛の音が鳴り響き、花太夫と呼ばれる舞人が登場しました。彼らの被る烏帽子と、手に持つ採り物が、どこか異界的な雰囲気を醸し出しています。

「あれが『マレビト』の象徴なんですよ」と、隣にいた地元の方が教えてくれました。「花太夫は、山からやってきた神様の化身なんです」

舞が進むにつれ、花太夫たちの動きがだんだん激しくなっていきます。採り物を振り回し、時に奇声を上げる姿は、まさに神がかり的でした。その姿に、古代の人々が抱いていたであろう畏怖の念を、現代に生きる私たちも共有できるような気がしました。

## 湯ばやしと榊鬼:マレビトがもたらす恵み

夜が更けると、「湯ばやし」という儀式が始まりました。大釜で沸かした熱湯を、花太夫が観客に振りかけるのです。

熱湯を浴びた人々から歓声が上がります。これは災厄を祓い、マレビトがもたらす恵みを受ける儀式なのだそうです。

さらに、榊の枝で作った仮面をつけた「榊鬼」が現れ、観客を追いかけ回します。怖がる子どもたち、そして大人たちの姿に、祭りの持つ畏怖と歓喜が同居する不思議な空間を感じました。

## 花祭の朝:去りゆくマレビト

夜通し続いた祭りは、夜明けとともに静かに幕を閉じました。

最後に、花太夫たちが四本柱の周りを三度まわり、採り物を柱に打ち付ける「鳥帰り」の儀式が行われました。これは、マレビトが去っていく様子を表現しているのだそうです。

祭りを終えた人々の顔には、疲労と同時に清々しさが浮かんでいました。マレビトを迎え、共に一夜を過ごし、再び送り出す。その過程で、村全体が浄化され、新たな活力を得たかのようでした。

## 帰路に着いて:現代に生きるマレビト

花祭を経験し、改めて折口信夫の慧眼に感銘を受けました。彼が見出した「マレビト」の概念は、単なる民俗学の理論ではありません。それは、人々の心の中に潜む、異界への憧れや畏怖、そして日常を超越したものとの交流への願いを表現しているのです。

現代社会に生きる私たちにも、どこかで「マレビト」を求める心があるのではないでしょうか。日常性を打ち破り、新しい視点や活力をもたらしてくれる何か。それは、旅や芸術、あるいは新しい出会いかもしれません。

奥三河の花祭は、そんな人間の普遍的な願いが、脈々と受け継がれてきた貴重な文化遺産だと感じました。同時に、この伝統を守り継ぐ地域の人々の努力と情熱にも、深い敬意を表したいと思います。

皆様も機会があれば、ぜひ花祭を訪れてみてください。そこには、忘れかけていた何か大切なものとの再会が待っているかもしれません。

現代という時代に生きる私たちにとって、花祭とマレビトの思想は、日常を新鮮な目で見つめ直す貴重な機会を与えてくれるのです。


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