本田圭佑とマッカーサー上陸に見るPRの戦術の共通点(「サムライサッカーキング」2014.3月号)

 かつて連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、日本を統治するため厚木に降り立ったときに、彼は愛機バターン号から降ろされたはしごを下りながら、ふり向いてゆっくりと地平線を睥睨したという。

 マッカーサーは、あらかじめ日本上陸時の自分の行動、しぐさを何度も思い浮かべていた。あのおなじみのレイバンのサングラスにコーンパイプという姿で地平線を睥睨する自分。なんてナルシストだろうか。その姿が翌日に新聞に載るはずであると確信していたのだ。だが、日本の新聞は、彼の意に反してまったく違う写真を記事に使ってしまう。そのことにマッカーサーは激怒した。使うべき写真が違うと。

 マッカーサーは、単なるナルシストだったわけではない。彼は、自分が日本を占領統治する上で、最も重要なのがメディアを通したイメージの流布であると知っていたのだ。事実、その後日に撮られ、新聞に掲載されたマッカーサーと天皇が並ぶ写真は、当時の日本人に大きな影響を与えた。はっきり見て取れる身長差は、どちらが権力者であるかということを、何よりも明示的に伝えることになったのだ。

 マッカーサーは、見た目の印象がなにより権力を印象づける装置として機能することを熟知していた。権力とは、両国の力関係そのものに生じるわけでも、ポツダム宣言という契約などに生じるわけでもない。権力とは、イメージから生まれるものだ。相手の方が偉いという構図が、イメージとして伝わらなければ、そこに根源的な権力は生じない。

 さて、先日の本田圭佑のACミラン入団会見は、ほとんどのサッカーファン、いや多くの日本人がニュース番組や新聞などを通して目にしたはずだ。本田はすべての受け答えを英語にて行い、報道陣からの「侍精神とは?」の質問に、「自分は侍は見たことがない」とジョークで笑いを取っていた。

 この光景を見て僕が最初に思い出したのは、中田英寿のセリエAペルージャへの入団会見である。中田は、会見での受け答えをすべてイタリア語で行った。しまいには「お腹が空いたからそろそろおしまい」とジョークまで飛ばした。彼は、現地のマスコミやファンの心を一手に掌握してしまった。中田のセリエA参戦が、1998年のことだから、16年も前のことということになる。

 本田の記者会見場で彼の背景には、10の数字の中に本田のシルエットを施したデザインのスペシャルロゴマークが飾られていた。中継を見ていた僕は、日本人選手の加入にこれほどの待遇をしてくれるのかと、まずは単純に驚いた。

 そして、会場では、ビデオやナレーションにて、将来ミランで10番を付けることを夢見たアジアの小国の少年が、その夢をかなえ、いまここにいるという物語が丁寧に説明され、「ウェルカム」の声とともに会見が始まった。

 その瞬間に、この会見が持つ意味がやっとわかった。これは、本田にとって新しいチームで選手生活をスタートさせるために行った決意表明の会見である以上に、ミランというチームが世界中の少年たちに門戸が開かれた夢の頂点であることを世界に示すPRのための会見なのだ。

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