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嫌われる勇気①目的論・トラウマを否定せよ〜人は変われる、与えられたモノをどう使うか〜

この本を読もうと思ったきっかけ

この本はちょうど1年前のゴールデンウィークに読み、かなりの衝撃を受けた本です。

現在スペインでサッカーをやっている竹本将太君がこの本を読んで以来、怒りをコントロールできるようになったと話していたことが読もうと思ったきっかけです。

忘れてしまっている部分もあったので、改めて読み直して、日々の行動で変えられる部分がないか考える機会にできればと思います。

はじめに

この本はアドラー心理学に基づき、人は変われる、世界はシンプルである、誰もが幸福になれるということについて主張されています。

その哲人の主張に対して、早速青年は反論します。
子供の頃は親や社会に守られ毎日自由に過ごしていて、子供の目に映る世界はシンプルな姿をしている。
でも大人になるにつれ、お前はその程度の人間であるという現実を突きつけられる。
人間関係も複雑化し、仕事や家庭などで責任を押し付けられたり、子供の時は理解できなかった差別や戦争、格差などの問題も見えてくる。
世界がシンプルなはずがない。
誰もが幸福になれるなんてありえないし、人は変われない。
一握りの人しか幸せにはなれないんだ。

ここまで反論する理由としては、青年は幼い頃から自分に自信を持てず、学歴や容姿についても強い劣等感を持っていた。
そのせいで過剰なほど他者の視線が気になってしまったり、他者の幸福を心から祝福することができず、自己嫌悪に陥ってしまうことがあり、青年にとって哲人の主張は絵空事でしかなかった。

トラウマを否定せよ

アドラー心理学では、原因論を否定します。
原因論とは何かというと、過去に〇〇(原因)ということがあったから、今△△であるという、過去の原因に基づき現在が決まるという考え方

例えば、過去に人間関係でトラブル(原因)があり、それがトラウマとなって現在引きこもりになったというような例です。

この考え方の場合、現在は全て過去の出来事によって決定済みであり、動かしようのないものであるとも考えられますし、
過去同じ人間関係でトラブル(原因)があった方は、みんな引きこもりになってしまうとも捉えられます。

ですが、今もなお、過去に人間関係でトラブルがあったものの人とのコミュニケーションを取り、社会に出ている方も大勢いらっしゃいます。
なぜこの違いが生まれるのか?

それは、それぞれの目的があるからだとアドラー心理学では考え、それを目的論と言います。
目的論とは、〇〇(目的)したいから、現在△△である、という自分の目的によって現在が決まるという考え方です。

例えば、現在引きこもりなのは、過去にトラブルがあり不安だから外に出られないのではなく、外に出たくないから、不安という感情を作り出している、トラウマを利用し、引きこもっているという考え方です。
引きこもることで、傷つく可能性を避けたいや、親の注目を集めることができる等の目的があります。

他にも、過去に両親の離婚ということがあり、そのせいで現在も人を好きになることができないという例があったとします。
しかしこれも、人を好きになれないのは過去に離婚があったからではなく、人を好きにならない(目的)ことで自分が傷つくことから逃げるために過去の原因を利用しているのです。

この方のように、離婚があったから人と付き合うのができなくなったという人もいれば、あの経験があったからこそ、人を大切にするようになったという人もいます。

過去にどんな出来事があったとしても、そこにどんな意味づけをするかによって現在のあり方、未来は変わってくるのです。

怒りなどの感情も、目的を果たす手段、道具として利用していると言います。

例えば、新品の白い洋服を着てカフェに行ったとします。そこで店員さんが自分の洋服にコーヒーをこぼしてしまい、ついカッとなって大声で怒鳴りつけたとします。

原因論で考えると、コーヒーをかけられた(原因)から、店員に怒鳴ったとなります。
しかし、コーヒーをかけられたら必ずみんなが大声で怒鳴るでしょうか?怒りの感情は突発的なのでコントロールできないもの、仕方ないことなのでしょうか?
そうではありません。

目的論では、コーヒーをかけられたから怒ったではなく、大声をだして相手を威嚇するため(目的)に怒ったと考えます。
大声を出すことでミスを犯した店員を屈服させ自分の言うことを聞かせたい
その手段として怒りの感情を捏造したと考えます。

大声を上げなくても、優しく指摘するだけでも、店員さんは謝罪をしクリーニング代も手配してくれた可能性はあります。
それでも大声をあげたのは言葉で説明する手順を面倒に感じ、無抵抗な相手を安易な手段で屈服させようとしたからになります。

確かに怒りは突発的な感情です。
しかし、怒りは出し入れすることができ、コントロールすることができます。
例えば、お母さんと喧嘩をして、お母さんが怒鳴っている最中に電話が鳴ったとします。
お母さんはその途端怒りの感情を抑えて電話主と会話をし、電話が終わったと同時にまた怒り始めます。
このように怒りは出し入れ可能な道具なのです。

目的論は過去の原因ではなく、自分の目的によって行動が決まるという考え方です。
現在引きこもりの方などにとって、この考え方は少し残酷な考え方のように見受けられるかもしれませんが、目的論はあなたが弱いと言っているわけでも、人の感情を否定しているわけでもありません。目的論では、過去に縛られる必要などなく、今この瞬間からあなたは変わることができると、勇気を与えてくれる考え方なのです。

原因論の場合、過去の原因のせいだとわかるだけで、何も現状が変わりません。
風邪をひいて病院に行って、医者に昨日薄着をしたせいです(原因)と言われても風邪は治りませんし、
あなたが引きこもりなのは、昔こんな辛いことがあったからですねと言われても、今後も外に出られるようにならず、過去に縛られ続けます。
原因論で考える限り一歩も前に進めません。
今この瞬間から人は変わることができるのです。

人は10歳ごろに自分のライフスタイル(世界観)を後天的に身につけるそうです。後天的なものなのでまた再度ライフスタイルを変えることはできますが、人が変わらない、変われないのも、今現在の自分でいる方がいいと思っている目的があり、変わらないように自ら選択しているのです。

このままの私であれば、目の前の出来事に対しどう対処すればいいのか、その結果としてどんなことが起きるのかを経験から推測することができます。

しかしライフスタイルが変わると、新しい自分に何が起きるかもわからないし、目の前の出来事にどう対処すればいいかもわかりません。
自分に少しの不満があったとしても、このままでいる方が楽であり安心なのです。

現在不幸だと感じているのは、過去や環境などは関係なく、自分に変わる勇気が足りていないという、勇気の問題なのです。
幸せになる勇気を持つことで、自らを変えていくことは可能です。

自分に与えられているものが何かではなく、与えられたものをどう使うかが重要です。
与えられたもの(過去や容姿)に執着しても何も現実は変わりません。

よく〇〇だったらと言う人がいますが、これは変わらない自分への言い訳でしかありません。
赤面症の女の子の例ですが、赤面症が治ったら彼に告白をしたいと考えています。
でもこれは赤面症だから告白ができないのではなく、告白をしないため(目的)に赤面症を利用し、彼に告白できない自分を正当化しているに過ぎず、告白をすることで振られてしまうことを避けているのです。

このままでは、赤面症を治すことも、彼と付き合うこともできません。
今の自分を受け入れ、たとえ結果がどうであったとしても前に進む勇気を持つことが大切です。
たとえ振られたとしても、次に進むことができます。

結果として、彼女は彼とお付き合いすることができたようで、赤面症については治ったわけではありませんが、それに悩むことは無くなったそうです。

他には、小説家を夢見ながら作品を書き上げられない方の例。
今は仕事が忙しくて小説を書く時間がないから作品を書けないし応募にも至らないという。
しかし本当にそうでしょうか?
本当は応募しないことによって自分はやればできるという可能性を残しておきたいだけなのではないでしょうか。 

時間さえあればできる、環境さえ整えばできる、自分には才能があるという可能性の中に生きていたいだけなのではないでしょうか。

転職さえしたら全てうまく行くや、受験に受かれば人生バラ色になると考える方も同じで、その願いが叶ったにもかかわらず、事態が何一つ変わらないと言うことは大いにあります。
今現在の自分を正当化するための理由、自分には可能性があると思うために利用しているに過ぎないのです。

人は皆何かしらの目的に沿って生きており、自ら変わる勇気、幸せになる勇気を持つだけで、幸せになることができます。
決して与えられたものや、過去の原因によって突き動かされているのではなく、何かしらの目的を達成するために動いているのです。
だからこそ、これまでの人生に何があったとしても今後の人生をどう生きるかについてはなんの影響もありません。

感想・行動すること

目的論、原因論について読んで理解したつもりになっていましたが、いざ文字に起こして伝えようとするとなかなかうまく書けず、完全に理解するのはすごく難しい内容だと改めて感じました。
この一章を書くのに3回読み直し、中田敦彦さんの動画なども見るなどして、なんとか書きました(笑)

就職活動でも自己分析などをする際に過去を振り返って今の自分について考えることをやってきていたので、目的論については正直かなり衝撃を受けました。
確かに過去の経験は間違いなく今の自分に影響は与えていますが、決してその過去に縛られる必要はないし、今この瞬間からでも変わることができるという点がすごく印象に残っています。 

また、怒りを捏造し感情を利用しているという点も強く印象に残りました。


確かに、サッカーの時とかも、よくカッとなってメンバーと喧嘩することがありました。
キャプテンとして真剣にチームの課題について考えている中、あまり真剣に考えてくれてないメンバーがいたからついカッとなって怒りという感情を使ったことがあります。
あれに関しても怒りという感情を使う必要なく、相手を説得し、マネジメントできた方がチームの雰囲気も悪くならなかったと思います。
でも言葉で説得させられないかもしれないと自分の中でも思っていたからこそ、怒りという感情に任せてしまったのだと思います。
他には、キャプテンとして舐められたくないとかそういったプライドもあったなぁと思います。

怒りに任せてしまうと反省することも無くなってしまうと思いました。
怒りという感情を使えば、相手は不満があってもその場ではきっと反論はしてこないでしょう。
一時的には意見が通るかもしれないですが、決して相手は納得してないと思います。
怒りに任せてしまうと自分のことを反省もしなくなるし、相手も一時的に黙るだけで本質的な行動は改善されないでしょう。

だから、今後は感情的になりそうな時でも、しっかりと自分をコントロールし、そこで説得ができない時は自分の力不足ということを認め、より思考を深めるということをしていきたいと思います。
人から舐められたくないという思いがある時につい怒りに任せてしまうことがあります。

相手のせいにして、自分の行動を正当化していては変われないと思うので、ここに関しては意識して日々過ごして行けたらと思います。

仕事のところで行くと、自分の成績が上がらない時に、つい俺だって大手の企業を担当できればもっと結果を出せるのに、とか思ってしまうことが正直あります。
現在結果が出ないのも、ちゃんと上司が公平に案件を振ってくれないからとか、決まらない企業を担当しているからと考えることもできます。

でもこれは、あくまで結果を出せない自分を認められず、自分にはできるという可能性の中に生きていたいということから生まれる感情だと再認識しました。
そんな与えられた企業に文句を言っても、現状は何も変わりません。
そこについて考えて嘆くのではなく、どうしたら決定が出せるのかについてもっと真剣に考えるべきだと思いました。
正直これまでサッカーをやってきて、県のトレセンに参加できたり、高校、大学で代表を務めたりそれなりの経験をさせてもらいました。
だから社会人でもきっと活躍できる。正直そんな風にも思っています。
でも、現実はそう甘くはなく自分より成果を出す同期は沢山いるし、1年経ったのに全然まだまだ仕事ができないです。焦りもあります。
だからこそ、同期で結果を出す人を見るとつい、俺だってそういう案件なら決められるしと思ってしまうことがあります。

そのせいにして今の自分を反省しないということは決してなく、日々どうしたら結果を出せるかについては考えてはいるつもりです。
でも、案件のせいにするときはやっぱり思考が止まってしまいます。
今後はそういった何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかに100%集中して行けたらと思います!

自分が怒りという感情を使った時や、自分が結果が出せないのを何かのせいにしている時があれば強くご指摘いただけると幸いです!

今回は分量が多くなりそうだと思ったのでいくつかに分けて書いていけたらと思います!

最後まで読んでくれた人ありがとうございます😊

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