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思索

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つれづれ。
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#手放し

委ねることが怖かった理由 冬至に浮かび上がったもの

わたしはずっと、この世界が怖くて仕方なかった。 周りが全員、敵だと思っていた。 冬至であらわになったものは、やっぱり「根深い恐怖」だった。 手を替え品を替え、あらゆる形で解放を促されてきたけど、結構深いところまで行ったな……という感じ。 毎年この時期、必ずと言っていいほど、母親絡みのトラウマが浮上する。 それを自覚したのは2019年の年末だったかな。 細かいことは忘れてしまったけど、その辺りから毎年。 それ以前からどうだったかはよく覚えてないけど、なんやかんや、毎年冬は

「あれから」と、少しの「これから」

前回、インパクトのある体験を、勢いのままに記事にした。 溜め込んでいたものを一気に出して、ちょっとハイになっていたと思う。 これからは自由に書いていくんだ、という気持ちでいっぱいだった。 でも、色々あって、この記事を公開してからここに至るまで、結局ほとんど投稿出来なかった。 「口ばっかりじゃん」「どういう事なんだ」と……責める人がいるかはさておき、私の中には、そういうジャッジを下す思考もあった。 「毎日5分でも書きなさい」と言われ、そうできたらいいと思ったのは事実。

「わたし悪くないもん」の裏にあったもの

自責思考が強い。どんなに自分を褒めても、他人から褒められても。自分を許しても、他人から許されても。自分を責める気持ち、自分を罰する気持ちは、なかなかなくなってくれない。 それでも、諦めずに内省と癒やしを繰り返して、罪悪感や自責は自分が勝手に背負い込んだもの、過去の傷をなぞるもので、根底では「自分は悪くない」と思っている事に気付く事が出来た。 「自分は悪くない」 そう思っていることに初めて気付いたとき、なんて傲慢だろうと思った。これまで、どれだけの人を傷付けて、どれだけの

年末だからって掃除が出来なくてもいいんだよ

今年は、ろくに掃除をしないまま新年を迎えようとしている。 Twitterのタイムライン上では大掃除をしたというツイートや、掃除をしろと促すアカウントを見るが、やる気が出ないのだから仕方がない。 けれどそこで私は自分を責めたりしない。なぜなら、掃除をしようとしない自分の心の引っ掛かりを解放すれば、いずれそれとなく片付けや掃除ができるようになると、信じているからだ。 * 部屋が散らかっていたり、掃除ができない人はダメ人間だという、世間の風潮というか、無意識の圧力がある。私

自分の事は自分で救う

「過去の事はもう捨てていい」そう言われる度に、苦しかった。 過去に受けた心の傷を癒そうとこれまで頑張ってきたから、「おまえの頑張っていることは無駄だ」みたいに言われたような気がしていた。 * 「生まれてこないほうがよかった」 トラウマ治療に取り組み始めて間もなく、心の底からずるりと出てきたのがこの言葉だった。 この世に嫌気が差したという感じではなく、どちらかというと罪悪感で。私は、自分の存在が悪で、罪人だと、根底でそう思っていた。 けれど私は、自ら命を断つ事もでき

「接客業に向いてない」という現実に向き合う

今年のはじめに、アルバイトを始めた。カフェの接客だ。ここからおよそ半年経って、カフェでのバイトはなんやかんや続けている。 なんやかんや続けてはいるけれど、かなり体調に無理がかかっている。 今働いているカフェはひっそりとした隠れ家的で人の出入りが少ないような穏やかなカフェ……ではなくて、結構回転の早いカフェ。接客はひとりひとりていねいにというより、流れ作業的な側面が強い。長居する人はいるけれど、静かに過ごすよりおしゃべりを楽しむお客さん中心。 このバイトを選んだ理由は色々

生きる事を諦めさせてもらえない

この世に絶望しているし、社会に絶望している。絶望しているくせにみっともなく足掻いて諦められない自分に一番絶望している。 ずっと「死にたい」と思ってきた。今でも生にしがみつくこの手を離してしまいたくなることはある。「死にたいなら勝手に死ねば」と言われたこともある。 けれど、それはできない。というより、させてもらえないんだ。だって死に向かえば向かうほど、死ぬよりも辛いと思うことが目の前に降ってくるから。 それに、私には死ぬ勇気もない。死ぬ勇気はないくせに、生き汚さは一丁前に