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思索

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つれづれ。
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#過去

書くことが変わっても、書きたいことを書き続けたい

私はよく過去の記憶にとらわれる。 最近ちょくちょく「記憶力がいい」と言われるのだけど、その弊害かもしれない。 思い返せば幼い頃から人の名前とかはよく覚えていたし、授業も一度聞いただけである程度頭に入った。だからといって優等生ではなかったけど。 ただ、忘れ物もよくするし、昨日食べたものさえ思い出せないことも多いけど、残るものはとことん残る。人のことを覚えておける容量も多い。 覚えておけることのメリットはいろいろある。 覚えたいと思ったものを覚えておいてすぐ出せること。

高い理想を追い求めることが恥ずかしいことだと思っていた

理由はわからないけれど、幼い頃から「一生懸命やらなくちゃ」「結果を出さなくちゃ」という気持ちが強かった。だからなのか、よく「完璧主義」「ストイック」と言われていた。 親にあまり褒められなかったからとかそういうのは抜きにして、自分に求める「当たり前」のラインが高かった。そしてほとんど無自覚に、それを人に押し付けてもいた。 そのせいで、周りから人がいなくなっていった。 おまけに自分の中での基準が高すぎて、自分の実力不足を受け入れられず、そこから目を背けるようになった。 幼

自分と向き合い始めたのは「逃げ」からだった

わたしは「自分と向き合う」ということをよくnoteでも書きますし、今でも続けています。 そのおかげで前向きになることも増えたし、自分の人生の課題を意識することも増えました。やってよかったと思っています。 けれど、最初から前向きな気持ちではじめたわけじゃありませんでした。 むしろ向き合うどころか、目を背けてきたり、逃げた結果が「自分と向き合う」という行為に繋がっているだけ。 ほんとうにただ「逃げ」でした。 ここから書くことは過去のどん底期に考えていたことなので、読んで

過去に目を向ける事は時間の無駄なのか

「人生は一度きり、時間は有限なのだから、過去に囚われるのは時間の無駄だ。それよりも未来について考えた方がいい」 こういう論調をたまに見る。 わたしはこの考え方が嫌いだ。 わたしはネガティブだし、よく過去の失敗であーだこーだ悩むことが多い。先のことを考えれば恐怖で足元がすくむ。それでも前を向こうと、過去からヒントをもらうために過去について考えているから、そんな自分を否定された気になる。 だからこの言葉について少し反論を書いてみようと思う。見当違いなことだったら恥ずかしい

生きていてくれるだけでいい

社会人一年目の自分に言いたいことがあるかな、と考えたけど、言葉に詰まってしまった。 あの頃の自分は、とにかく必死だった。 入社してすぐは、専門学校で習ったことが全然活かせなかった。 同期はみんな別の事業所、周囲の先輩は今まで付き合ってきた人たちと違いすぎて、うまく馴染めなくて孤立してしまった。 家族とも折り合いが悪くて、誰も信じられない。そんな中でも、決して折れるまいと、実力を磨けば認められる、と自分を奮い立たせていた。 もうコップに水がめいっぱいどころか、溢れてる

けっとばす

わたしを型にはめようとしたやつらけっとばす。 わたしを個性的だからと拒絶したやつらけっとばす。 わたしをバカだと嘲笑ったやつらけっとばす。 わたしを憐れんで勝手に泣いたやつらけっとばす。 わたしを勝手に嫌って逆恨みした奴やつらけっとばす。 わたしを怖れて離れていったやつらけっとばす。 お前たちのせいでわたしは、 こんなに苦しんで こんなに。 こんなに………。 こんなにも時間を無駄にして。 勘違いで、生きてきてしまった。 ああ、憎い。 わたしを傷つけた人