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思索

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つれづれ。
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#自己受容

自分らしさの蓋を外して出てきたものは、明るくはなかったけど美しかった

「物語を書いて生きていきたいのなら、四の五の言わず今すぐ書きなさい」 身体のケアをするために尋ねたセッションで言われたのは、意外な言葉だった。 「一日5分でもいい。トイレに行くくらい当たり前の感覚で『物を書く』という事ができるよう、自分の日常にそれを落とし込んで行く。それが今のあなたのやるべき事です」 私の中にずっとあった甘ったれた気持ちを、全て引っ剥がすような強い言葉。その方が言っているから響くのではなく、今の私に本当に必要な言葉だから響く、そんな感じだった。 「料

年末だからって掃除が出来なくてもいいんだよ

今年は、ろくに掃除をしないまま新年を迎えようとしている。 Twitterのタイムライン上では大掃除をしたというツイートや、掃除をしろと促すアカウントを見るが、やる気が出ないのだから仕方がない。 けれどそこで私は自分を責めたりしない。なぜなら、掃除をしようとしない自分の心の引っ掛かりを解放すれば、いずれそれとなく片付けや掃除ができるようになると、信じているからだ。 * 部屋が散らかっていたり、掃除ができない人はダメ人間だという、世間の風潮というか、無意識の圧力がある。私

本音を認めたら、過去があふれてきて、全部がひっくり返った

全部、ぜんぶ、親のためだった。 そう、気付いてしまった。 健康になりたいのも。まともな人間になりたいのも。働けるようになりたいのも。全部、ぜんぶ。 だから、上手く行かなかったんだ。 自分のためじゃなかったから。 * 25歳の時に心と体を壊して会社を辞めた時から、この苦しみを根本的に解決したい、自分の人生を生きたいと思っていろんな事を試してきた。 自分の人生を生きたい。自由になりたい。自分を許したい。 もう苦しいのは嫌だ。トラウマももう十分すぎるくらい癒やしたと思

自分の事は自分で救う

「過去の事はもう捨てていい」そう言われる度に、苦しかった。 過去に受けた心の傷を癒そうとこれまで頑張ってきたから、「おまえの頑張っていることは無駄だ」みたいに言われたような気がしていた。 * 「生まれてこないほうがよかった」 トラウマ治療に取り組み始めて間もなく、心の底からずるりと出てきたのがこの言葉だった。 この世に嫌気が差したという感じではなく、どちらかというと罪悪感で。私は、自分の存在が悪で、罪人だと、根底でそう思っていた。 けれど私は、自ら命を断つ事もでき

本屋で「ここまで来たんだな」と思えた話

昔から、本屋が好きだった。 紙の本にこだわりがあるとか、本をたくさん読むのが好きとか、そういう訳ではない。ただ、無目的に本屋を歩き回って、好きなジャンルの本を立ち読みしたり、写真集をパラ見したり、装丁を眺めたり、帯のコピーや平置き、面置きのタイトルから最近の流行なんかを知るのが好きだった。 先日、とても久しぶりに、大型の本屋に行った。そこは新しくてオシャレな感じの本屋で、スタバがセットで入っているし、「ていねいな暮らし」「デザイン・アート」なんかのスペースが多く割かれてい

心の殻を取り払って

私は家族に対して「まともに働いてない」という負い目がずっとあったから、家族に対して思う事があっても言えなかった。 そんな負い目を払拭したくて、社会的地位に囚われない自分の価値を探求してきた。そういう価値はちゃんと見つかったけど、家族を目の前にするとやはり働いてないという事実は重くのしかかった。 だから私は家族に対して不干渉を貫くことで、自分が見つけた価値や立場を守っていた。そしてまともに働き、稼げるようになるまでは何も言うまいと心を閉ざしていた。 本当は、社会的地位や立

目に見えない世界のことも言葉にしていく

わたしは、目に見えないものを感じられる。 平たく言えば霊感というやつ。 もともと、ものや人形に気持ちがあるように感じたり、暗闇を過度に恐れたりするような子どもだった。 それについては、ただ平凡で怖がりなだけだと思っていたけれど、十七歳のときに霊感の強い友達の影響で覚醒させられ、そちらの方に繋がりやすくなった。 念のため補足すると、わたしは見えるわけではない。ただ、感じるだけ。何をどう感じるかは長くなるので省くけど、それがいいものか悪いものかの区別はある程度付けられるし

自分の人生を誰かに託すことはできない

思えば、書き始めた時の喜びとはなんだったか。 それは、ひとの人生の輝きを知ることだったと思う。 紡ぎ出された言葉に、己を浸し、追体験する。 同じ世界を生きている、まったく異なる道を歩んだ誰かの、絞り出した言葉を飲み込むように読むこと。 それは相手に同化することを通して、己の心を浮かび上がらせる試みだった。同様に書くこともそのための手段でしかなかった。 人とつながり、誰かの人生の断片を、受け取るための手段。見失ってしまった自分自身を探すための手段。 noteで色んな

心中相手を探しているのはわたしの方だった

太宰治が好きだ。 好きと言いつつ「走れメロス」と「人間失格」くらいしかちゃんと読んだことがないんだけど、「人間失格」は生きることが苦しくて仕方なかったわたしに、冒頭の一文から刺さった。 そしてわたしは、小説そのものよりも彼自身に興味を持ったので、その生涯について言及されているものをよく読んだ。 爛れた女性関係、何度も繰り返す自殺未遂、芥川賞への執着、エトセトラ。相容れない自己のギャップ、生きることの所在なさや内に秘めた渇望、どうしようもない死への衝動が手に取るようにわか

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私は私を愛したい【リレーエッセイ⑩】by逸見(はやみ)

この記事は、リレーエッセイ企画「あぁ、愛しのコンプレックス様」10番手として書かせていただくものになります。9番手は逢坂志紀さん。11番手は最後に発表します。お楽しみに。 ナルシシズム全開のタイトルで少し恥ずかしいのだけど、今回はコンプレックスがテーマのお話。 かつての私はコンプレックスまみれだった。今もまあまあまみれている。コンプレックスと共に生きてきて、コンプレックスを解消することが人生の課題だと思うくらいには、私とコンプレックスは切っても切れない関係がある。 きっ

ありのままの自分を受け入れることは絶望と共にある

「ありのままの自分を受け入れて自由に生きよう」 とても優しい言葉で、明るい未来の示唆のように思える。 「ありのまま」を受け入れることは確かに喜びもあるけれど、それと同じくらい苦しみがある。 自分を受け入れるということは、諦めることと似ている。 自分が必死にしがみついている「理想の姿」「あるべき姿」を手放すことでもあるからだ。 自分がこれほどまでに脆弱で、未熟なのだということを思い知らされるということ。 「ああはなりたくない」と見下す他人の側面が、自分の中にも存在す

自分と向き合い始めたのは「逃げ」からだった

わたしは「自分と向き合う」ということをよくnoteでも書きますし、今でも続けています。 そのおかげで前向きになることも増えたし、自分の人生の課題を意識することも増えました。やってよかったと思っています。 けれど、最初から前向きな気持ちではじめたわけじゃありませんでした。 むしろ向き合うどころか、目を背けてきたり、逃げた結果が「自分と向き合う」という行為に繋がっているだけ。 ほんとうにただ「逃げ」でした。 ここから書くことは過去のどん底期に考えていたことなので、読んで

ぜんぶ、自分なんだ

私は時折、脳みそだけ、肉体を超えた存在になりたいと思う時がある。攻殻機動隊の素子さんとか憧れる。ああいう世界観は、現実にあるといやだな、とは思うけど。 自分の肉体がきらい。きらいだけど、すき、すきだけど、きらい。 たとえば体型。標準よりはるかに重い体重。これでも1番太っていた時よりは痩せたけど、あらゆる部分がだらしない。それに顔。見る人が見れば美人らしいけど、自分の顔面はそこまで好きではない。メイクするのは、自分の顔面が少しでもマシに見えるようにするため。 そんなことを

コンプレックスだらけのアラサー女が自分を受け入れるためにやってきたことまとめ

私はコンプレックスだらけで自己肯定感がすこぶる低く「何の役にも立たない、こんな自分は生きていないほうがいい」そんなふうに考えていた時期がありました。 全てを乗り越えられたわけではなく、今でもたまにそう考える時はあります。 それでもなんとか、それなりにじわじわと、昔よりは自分に対しての嫌悪感や罪悪感は軽くなり、「自分って捨てたもんじゃないな」と思えるタイミングが増えてきました。 そんな自分が、これまで数年間、自己肯定感を高めるためにやってきたこと、その中でもやってよかった