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思索

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つれづれ。
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#内省

「どう在りたいか」と自分に尋ねてみたら

年末からの流れで、「今後は自分の意思が何より大切になる」というのはずっとあって、同時に「自分の意思を貫くことを妨げるもの」の存在が、どんどん明らかになっていた。 それらは、手放すためにやってきて、なかった事にしていた感情を認める機会をくれ、新たな気付きをもたらしてくれた。 言葉ではかんたんだけど、実際はそんなに生易しいものではなくて。正直この半年、変化についていくのに必死だった。 だから、いちばん肝心な「さて色々手放したけど、じゃあ、結局お前自身はどう在りたいの?」とい

「人に頼ること」もセルフケアのうち

「セルフケアは大事」と言いながら、「自分を回復させるために、人に頼る事は情けない」なんてブロックがある事に気付いてしまった。 最近、とにかくずっっと体調が悪い。こればっかり言っている気がするけれど、本当に悪い。もともと体調が悪いのが当たり前だったけど、何かそれ以上にやばい感じがしている。 調子としては過去最底辺、という程ではないのだけど、明らかな変化として、調子が戻りにくくなってきたと感じる。 これまでも調子の上がり下がりはあったけれど、たいていは自分を追い詰めまくって

本音を認めたら、過去があふれてきて、全部がひっくり返った

全部、ぜんぶ、親のためだった。 そう、気付いてしまった。 健康になりたいのも。まともな人間になりたいのも。働けるようになりたいのも。全部、ぜんぶ。 だから、上手く行かなかったんだ。 自分のためじゃなかったから。 * 25歳の時に心と体を壊して会社を辞めた時から、この苦しみを根本的に解決したい、自分の人生を生きたいと思っていろんな事を試してきた。 自分の人生を生きたい。自由になりたい。自分を許したい。 もう苦しいのは嫌だ。トラウマももう十分すぎるくらい癒やしたと思

過去の自分を他人に見出す必要はない

ここ最近、ずっと悩んでいた。 詳しくは言えないけれど、それは私が主体の悩みではなかった。というかむしろ、他人の悩みだった。でもその事に気付かず、自分ごととして悩んでしまっていた。その人に何かしてあげたくて、力になりたくて、手を尽くした。 心のどこかで、その悩みを解決出来なければ私には価値がないだなんて思ってしまっていた。 明確にそう口にする事はなかったにせよ、それくらいの強迫観念と感情に突き動かされていた。 そうすればするほど、自分は削れていって。 そしてその悩みは

「接客業に向いてない」という現実に向き合う

今年のはじめに、アルバイトを始めた。カフェの接客だ。ここからおよそ半年経って、カフェでのバイトはなんやかんや続けている。 なんやかんや続けてはいるけれど、かなり体調に無理がかかっている。 今働いているカフェはひっそりとした隠れ家的で人の出入りが少ないような穏やかなカフェ……ではなくて、結構回転の早いカフェ。接客はひとりひとりていねいにというより、流れ作業的な側面が強い。長居する人はいるけれど、静かに過ごすよりおしゃべりを楽しむお客さん中心。 このバイトを選んだ理由は色々

内なる子供との対話

幼い頃の心の傷は、その後の人生にあらゆる影響を及ぼす。20代半ばでそのことに気付いてから、傷ついた自分を癒すためのあらゆる手法を試してきた。 まず何が傷だったかを知るところから始まり、同じような形の傷に何度も出会いながら、少しずつ新しい経験をすることで、認めたり、手放したり、癒されたりしてきた。そして、まだそれは終わっていない。 「インナーチャイルド」という言葉がある。素直な感情、本音、本来の自分を象徴した子供のイメージであり、ありのままに生きられなかった傷ついた子供の姿

魂の場所へ

船に乗っている。 周りには陸は見えない。 船の行き先を、わたしは知らない。 ただひとつ確実なのは、わたしはこの船に乗り続けられないということ。 なぜかわからないけれど、わたしはひどく衰弱している。単なる船酔いか、病気か、わからない。 ただこのままじゃ、たぶん、取り返しのつかないことになる。そんな予感がある。 けれど近くに陸もなく、また船がいつ陸に着くかもわからない。 ただ少なくとも、わたしが行きたい方には行かないんだろう、という予感もある。 じゃあ、海に飛び込

心中相手を探しているのはわたしの方だった

太宰治が好きだ。 好きと言いつつ「走れメロス」と「人間失格」くらいしかちゃんと読んだことがないんだけど、「人間失格」は生きることが苦しくて仕方なかったわたしに、冒頭の一文から刺さった。 そしてわたしは、小説そのものよりも彼自身に興味を持ったので、その生涯について言及されているものをよく読んだ。 爛れた女性関係、何度も繰り返す自殺未遂、芥川賞への執着、エトセトラ。相容れない自己のギャップ、生きることの所在なさや内に秘めた渇望、どうしようもない死への衝動が手に取るようにわか

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言葉は鏡として

ある日突然、これまで尊敬していた人の言葉が響かなくなることがある。 そういう時、「あの人は変わってしまった」と失望するのではなく「自分が変わったのかもしれない」と内省するようにしている。というかしてしまう。 ここで言う内省とは「失望してしまう自分は器が小さい」と自責に駆られることではなく、「自分の中で何かが変わったのかもしれない」と気付くことだ。 ただ、情緒不安定な私は、人生そのものに絶望してしまい、自分以外の全てが憎らしく見える時もあるため、自分の感情はあまり信用しな