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思索

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つれづれ。
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2019年6月の記事一覧

家族から受けた傷

ばあちゃんは、わたしが嫌いだったと思う。 ここでいう「ばあちゃん」とは、わたしの父方のばあちゃんのこと。うちはお父さんが長男だったので、じいちゃんばあちゃんが一緒に住んでいた。 さんざんnoteで書いてきたことだけど、わたしは家庭環境にトラウマがある。厳密には虐待を受けた子どもではないけれど、かなり精神的にキツい環境だった。 子どもは親の言うことを聞くものとしつけられ、言う事を聞かなければ外に放り出すぞと脅された。モラハラとかそういうのが当たり前だった。古い因習が染み付

過去に目を向ける事は時間の無駄なのか

「人生は一度きり、時間は有限なのだから、過去に囚われるのは時間の無駄だ。それよりも未来について考えた方がいい」 こういう論調をたまに見る。 わたしはこの考え方が嫌いだ。 わたしはネガティブだし、よく過去の失敗であーだこーだ悩むことが多い。先のことを考えれば恐怖で足元がすくむ。それでも前を向こうと、過去からヒントをもらうために過去について考えているから、そんな自分を否定された気になる。 だからこの言葉について少し反論を書いてみようと思う。見当違いなことだったら恥ずかしい

人の感情を揺さぶってしまう人

普通に生きてるだけで人の感情を揺さぶる人というのはいる。 かくいう私もそうなのかもしれない、と最近思い始めてる。 人間関係がスムーズに行かない事の方が多い。 嫌われる人からはとことん嫌われる。 反対に、好かれる人からはすごく好かれる。 8:2の法則というのがある。 私の場合、8割に嫌われる場所があれば、残り2割は味方になってくれる。反対に、8割の人はすごく信頼してくれるけど、残り2割には目の敵にされる……みたいな。 割合的には前者の方が多かった。そう言うと信じても

せめて「自分」になりたい

わたしはずっと、個性的なひとになりたかった。 そういうものにならなければいけない、みたいな義務感さえあった。 好きでもないものを好きだと言ってみたり、似合いもしない個性的なファッションを着てみたり。 いうなれば「守破離」の破ばっかりやって、何一つものにできなかった。 でもそうやって偽物の「個性」を身につければ身につけるほど、わたしは埋もれて溺れていった。 自分にはなにかあるはずと信じていろんなものに手を出してみたけど、気がつくと誰かの真似をして安心していた。 高校

星が私にくれたもの

最近、西洋占星術を学んでいる。 生きているのが辛くなって占いに縋る、とかそういうのではない。もともと四柱推命や姓名判断を見たり、六星占術の運命周期を参考にしたりと、かじる程度に関心はあった。 自分の人生は自分で切り開くものであり、占いはあくまでツールだと思っている。占星術を学び始めた今もその考え自体は変わらない。 むしろ星座占いは、占いの中でも特に関心のないジャンルだった。しかし、きっかけはうろ覚えなのだが、GW前後くらいから星座について学び始め、月星座を知り、10天体