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5月1日 火山には勝てない

                        (扉写真は産経新聞)

長崎県にある雲仙岳が1991年5月に噴火して、火砕流が発生しました。

FNN(1分32秒)
1991年5月24日朝に発生した初めての火砕流です。地元のテレビクルーが撮影しました。モクモクした雲が静かに谷を下っています。大音響とともに襲ってくるわけではないので、恐怖を感じません。

注:noteで動画閲覧すると、画面の縦横比が違うので下が切れます。画面上端に表示されているタイトルをクリックして別窓で表示されるYouTubeで閲覧すると切れることなく全画面で見ることができます。この記事の他の動画にも当てはまります。古い形式で録画したからです。

FNN(1分12秒)
その日の午後、火砕流が下った谷にテレビクルーが入ってカメラ取材しました。次の火砕流がいつ襲ってくるかわからなかったので、これはきわめて危険な行為でした。記者は「溶岩流」と「崩落」の語を使ってレポートしました。溶岩ドームが成長して落石が起きた程度に思ったようです。湯気が上がっているのは、「崩落」した「溶岩」が高温だったからです。当時、火砕流という噴火現象は火山専門家だけが知るものでした。一般の人はまだ知りませんでした。

このあと、何度も火砕流が発生しました。26日にはやけどを負ったひとが出ました。29日には山火事が発生しました。

そして、6月3日。悲劇が起こりました。

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上のサムネイル画像をクリックして動画をごらんください(ANN、1分56秒)。左下の三角を押すと再生が始まります。右下の四角を押せば、画面が拡大します。
ANNnewsCHに4分38秒動画があることに気づきました。後半は燃える家屋を上空ヘリからと地上から(!)撮影しています。2021年6月5日追加

「やばい」と叫んで、カメラを三脚に残したままタクシーに飛び乗って逃げたのは、テレビ朝日のカメラマンです。正面の谷を下ってまっすぐ襲ってきた火砕流は、三脚に届く直前で離陸しました。大量の空気を吸い込んで軽くなったからです。入道雲と同じです。カメラは火砕流にギリギリ飲み込まれなかったので、この映像が残されました。

こちらに向かって襲って来た火砕流は、じつは支流でした。これより何倍も大きい本流は画面の右手にありました。火砕流が離陸したあと、畑に植えられたタバコの葉を左から右になびかせる強い風が吹いたのは、本流が離陸して大量の空気塊が上昇したことによって、ここの空気がそこに向かって吸い込まれたからです。

本流の火砕流は離陸する前に、定点と呼ばれていた北上木場を襲いました。そこには何組ものカメラクルーと消防団員がいました。クルーを乗せてきたタクシー運転手もいました。全部で43人が死亡しました。

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定点で雲仙岳にカメラを向ける取材クルー(産経新聞)。この写真が撮られた15分後に火砕流がここを襲いました。

JNN(0分33秒)
火砕流に飲み込まれたあと、そこから自力で脱出してきたひとたちもいます。ひどいやけどを負っています。このあとすぐテレビクルーは撮影するのをやめ、このひとたちを病院に連れて行きましたが、手当の甲斐なく死亡しました。

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上のANN動画にあった消防自動車の前を走って逃げる消防士の写真は、週刊読売の表紙を飾りました。

左は、表紙をめくったカラーグラビアです。北上木場で死亡したテレビクルーの遺体を翌朝空から撮影した写真です。タバコ畑が埋まることなく、10センチ程度の薄い火山灰に覆われていることがわかります。拡大してみましょう。

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遺体は火山灰に埋まっていません。物陰に隠れようとしたかのように見えます。

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タバコ畑の中に自動車が移動してきています。暴風が吹いたのでしょうか。

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これは地上写真です。写真週刊誌フライデーに掲載されました。首輪をつけた犬が炭化しています。これも火山灰に埋まっていません。

火砕流には勝てません。火砕流は高温ガスの流れだから、飲み込まれたらこの犬のようにかならず焼き殺されます。

火砕流から逃れるすべは、火砕流が発生する前にその場から退避しているしかありません。火砕流は時速100キロの猛スピードで襲ってきますから、見てから逃げるのでは遅い。火砕流を見たらお前はもう死んでいる。

JNN(0分34秒)
5日後の6月8日深夜、溶岩ドームが爆発して火の玉が膨らんで、地表を火砕流が走るのが赤外線カメラでとらえられました。

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その翌朝、空から撮った写真です(産経新聞)。水無川の狭い流路の中に大きな溶岩塊が埋めています。とくに先端に大きな塊が集中しています。火砕流は3年にわたって何度も流れましたが、この1991年6月8日火砕流が、もっとも遠くまで届きました。

地元カメラマン(1分39秒)
1992年3月22日夜の火砕流です。初めは溶岩ドームから落石してますが、途中から火砕流に変わります。赤外線カメラで撮影されているため、高温物質が内部からモクモクと湧き出してくる様子がよくわかります。

インドネシア・シナブン火山、2014年2月1日

インドネシアのシナブン火山で2014年2月1日に、雲仙岳1991年6月3日と同様の悲劇が起こりました。

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シナブン火山は何年も前から火砕流を出し続けていました。しかし、その日まで何十日も火砕流がなかったので、天気の良い日曜日だったので地元の高校生たちがバイクで山に出かけました。そこに運悪く最大級の火砕流が発生して、大勢の若者が命を失いました。

雲仙岳と同じように、火砕流が残した堆積物は薄く、遺体は火山灰に埋まっていません。防塵マスクをしただけの無防備な救助隊が印象的です。

海面を進む火砕流

西インド諸島モンセラ、1996年、National Geographic TV、1分20秒

火砕流は海岸に達すると、海中に没することなく海面上を進みます。火砕流の密度が海水より小さくて空気より大きいからです。水平で真っ平らな海面は、火砕流にとってこの上なく走りやすい滑走路です。もし水面を隔ててあなたの向こう側に火砕流が見えたら、あなたは間もなく飲み込まれます。覚悟を決めてください。

海面を進む火砕流の先端が、猫の手のようになっているところをよく見てください。指と指の間から空気を取り込んでいます。

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フィリピンのピナツボ火山から1991年6月に発生した火砕流から必死で逃げようとする青い自動車です。さて、この自動車の運転手は助かったでしょうか。

この火砕流は、上にあげた3火山の噴火よりずっと大きくて、麓に厚い堆積物を残しました。爆発のメカニズムも違います。ですから、このような大きな噴火だけを火砕流と呼んで、上にあげた3火山の噴火は熱雲と呼んで区別したほうが本当はよいのですが、いまはいっしょにされています。来週、詳しく説明します。


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