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カルデラと火砕流

大量のマグマが地下から一気に地表に噴出すると、空になったマグマだまりの中に天井が落ち込んで地面に大きな窪みができる。これをカルデラという。しばしば水面でおおわれている。その直径は10キロを超える。カルデラの周りには例外なく大規模な火砕流堆積物が分布している。

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九州島の中央部に位置する阿蘇は日本を代表するカルデラである。その直径は、南北24キロ、東西17キロに及ぶ。内側に街がいくつもあって、大勢の人が生活している。

27万年前、15万年前、11万5000年前、8万7000年前、合計4回の火砕流噴火の結果としていまの阿蘇カルデラがある。とくに最後の阿蘇4火砕流は大きくて、3兆トンのマグマを噴出した(M8.4)。内牧温泉などに見られる湾入は、火砕流噴火のあとゆっくり長く継続したカルデラ壁の後退によってできた。遠くの山は九重山。

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青森県と秋田県の境にある十和田湖の直径は11キロ。4万3000年前、3万年前、1万5000年前、合計3回の火砕流噴火の結果できた。

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十和田湖から1万5000年前に噴出した八戸火砕流。噴出量は500億トン(M6.7)。秋田県小坂町濁川。

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浅間山から1万5800年前に噴出した平原火砕流。噴出量は100億トン(M6.0)と少なくはないが、噴出源にカルデラ地形は認められない。手前を流れるのは湯川。

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浅間山の1108年8月噴火で発生した追分火砕流は、北側に12キロ流れて吾妻川をせき止めた。嬬恋村大笹の集落は、そのときつくられた平坦面の上に成立している。断面に柱状節理が見えることからわかるように、この堆積物は軽度に溶結している。吾妻川による浸食に900年のあいだ抗して、広い平坦面をここに維持している。

噴出量は7億トン(M4.8)でカルデラ陥没を起こすには足りない。前掛山頂に残された火口の直径は、東西1.3キロ、南北1.1キロである。

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雲仙岳の山頂に出現した溶岩ドームから1991年9月15日に流れ下った火砕流で焼かれた大野木場小学校(長崎県深江町)。溶岩ドームの成長に伴って火砕流が何年にもわたって何度も流れ下ったが、すべてを足し合わせても1000万トン(M3)にしかならない。地表を薄く(10センチ程度)被覆するだけで、地形を変えていない。

この種の小さな火砕流は、熱雲と呼び分けて区別したい。サンピエール市を1902年5月に焼いた西インド諸島モンプレー火山の熱雲が有名である。

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