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7月10日 噴火を予知して住民に知らせる(1)

今週と来週の2回で、命を守るための短期予知を話します。統計学から始めます。

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つまり、1万人の集団にこういうことが起こっているとします。

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1%がかかっている病気のありなしを、(感度も特異度も)95%の検査薬で調べて陽性判定を受けたあなたが、実際に病気にかかっている確率はこう計算できます。

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わずか16.1%です。めったにない病気の場合は、そして検査薬の判定能力が100%完全でない場合は(ふつうそうです)、病気でない人を誤って病気だと判定してしまう偽陽性が大量に発生します。それが陽性判定の大多数を占めてしまいます。だから、陽性判定をもらっても、本当に病気にかかっている確率はそれほど高くありません。

この問題は、「病気あり/病気なし」と「陽性/陰性」で、四分割表をつくって整理するとわかりやすい。病気なのに誤って陰性と判定される偽陰性が0.05%、病気でないのに誤って陽性と判定される偽陽性が4.95%出ます。病気の人が正しく陽性と判定されるのは検査集団の0.95%です。1%しか病気でないのだから、当たり前です。残りの94.05%は、病気でない人が正しく陰性と判定されます。

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これを火山に当てはめてみましょう。検査して「陽性」は「異常」発生に、検査して「陰性」は「平常」のままに、置き換えられます。「病気あり」は「噴火」に、「病気なし」は「噴火なし」に、置き換えられます。

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「異常」→「噴火」は予知成功です。見事でした。「平常」→「噴火」は見逃し失敗です。「異常」→「噴火なし」は空振り失敗です。「平常」→「噴火なし」は、的中ではありますが、予知なしです。

上の四分割表の中に入れた数字は、気象庁が2007年12月から2020年6月までに実際に発表した噴火予知の成績です。予知成功は7回、空振り失敗は46回、見逃し失敗は24回でした。予知が的中した確率(精度)を計算すると、7/53=13%になります。噴火を予知した確率(感度)を計算すると、7/31=23%になります。

火山観測の場合、感度がわずか23%しかなく、特異度がわからないので、上の検査薬の思考実験を少し修正しなければなりませんが、ここでは深く立ち入りません。火山はめったに噴火しないから、めったにかからない病気で思考実験した上と同様の特徴が表れていることを確認してください。事前確率が極端に低いときに出現するこの意外性は、ベイズの定理としてよく知られています。ベイズの定理による計算結果は直感をしばしば裏切ります。

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火山は、ふだんは眠って過ごします。噴火するのはまれです。大きな噴火はめったにしませんから、前兆異常を発見して大きな噴火を予知しようと目論むとベイズの定理に支配されてしまいます。ベイズの定理が教えるところは、火山を観測して異常をみつけても噴火に至ることはまれということです。噴火に至らない異常すなわち偽陽性がやたらに多く出てしまって始末に負えません。一般の利用に適合する噴火警報を出すことを、偽陽性が妨げます。

火山をどんなに精緻に観測して異常を見つけ出しても噴火に至ることはめったにないと、私たちはまず承知すべきです。私自身は、観測して前兆異常をみつける努力はたいがいにしておくべきだと考えています。そのかわり噴火が始まったらよく観察して、そしてすみやかに解釈して、情報共有することが大切だと思っています。しかし、日本だけでなく世界中で、火山を観測して異常を早期検知して噴火を予知しようとする試みが熱心になされています。

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気象庁の火山監視

日本では、火山の監視を気象庁が担当しています。監視して得た情報を国民に伝える業務を気象庁の地震火山部火山課が担っています。ただし観測はさまざまな機関が分担しています。国立大学がいくつかの火山観測所を持ち、国立研究所が地震計などの観測ネットワークをたくさんの火山に張り巡らし、国土地理院がGPS基準局を全国展開しています。

いっぽうアメリカでは、火山観測から情報発信までのすべてを合衆国地質調査所(USGS)が統一的に担当しています。

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気象庁は、2007年12月に気象業務法を改正しました。それまで「地震と火山現象」は予報警報業務から除外されていました。予報警報できなかったわけです。その改正では、予報警報業務の範囲を「気象、地象(地震にあっては、地震動に限る)、、」に変更しました。地震動とは、すでに発生した地震波が伝播していくことを指します。緊急地震速報のことです。

条文から火山現象の文字が消えました。これは、いったい何を意味するでしょうか。火山現象の予報警報業務が気象庁に新たに課されたということです。気象庁が望んで自分に課したのです。いいえ、もっとはっきり言いましょう。出したかったのです。出せないとされていた噴火予報警報が、いったいどういう学術技術進歩でそのときから出せるようになったのでしょうか。この法改正にあたって、緊急地震速報はその仕組みと限界が詳しく説明されました。しかし、噴火警報が可能になった根拠はそのときいっさい説明されませんでした。いまだに説明されていません。

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この2007年12月法改正で、気象庁が出す火山情報は大きく変わりました。

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住民に最大警戒を呼び掛ける火山情報が「噴火警報(居住地域)」です。次に「噴火警報(火口周辺)」があります。その次に「噴火予報」です。警報・予報を出したあと、毎日定時に情報提供したり、予報までに至らない情報提供をするために、「火山の状況に関する解説情報」を出します。また、桜島や諏訪瀬島など、例外的にしょっちゅう噴火している火山のために「噴火に関する火山観測報」がもうけられています。

御嶽山2014年9月27日惨事を教訓にして、「噴火に関する火山観測報」のうち重大なものに「噴火速報」のレッテルを貼って発表することになりました。テレビ画面に「噴火速報」のテロップが出るのを見たことがあるひともいるでしょう。阿蘇と桜島と浅間山などで出ました。ただし、気象庁が出す噴火速報が、当該火山をいま登山している人に役に立つかどうかははなはだ疑問です。現地にいるなら、気象庁に頼るより、自分の目ですぐ山を見たほうがよい。危険を感じたらただちに火山から遠ざかる。少なくとも御嶽山2014年9月27日はそうでした。

噴火警報業務を始めるときに、気象庁は各火山に噴火警戒レベルを導入しました。

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噴火警戒レベルは1から5まであります。それまであった火山活動度レベルとの違いは、避難や登山禁止などの防災行動に言及していることです。噴火警戒レベル5と4は、居住者にまで危険が及ぶことを意味しています。噴火警戒レベル3と2は、登山者に危険が及ぶことを意味しています。噴火警戒レベル1は予報です。噴火警報には注意報がありません。危険度の大小は、警戒すべき面積の広さで示されます。ふつうは火口からの距離で同心円的に示されます。

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浅間山の噴火警戒レベルの推移をグラフで示しました。2007年12月以前は火山活動度レベルです。1、2、3を行ったり来たりしています。4と5にはまだなったことがありません。異常を検知して気象庁がレベルを上げたあとに噴火が起こった事例が4回あります(赤矢印)。浅間山は、例外的な優等生です。浅間山だけを見ていると噴火予知が可能な気がするかもしれません。ただし的中させた噴火は小さいものばかりだったことを承知しておくべきです。

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気象庁は先月(2020年6月)25日に浅間山の噴火警戒レベルを2に引き上げました。そこまで含んだ推移グラフです。2019年のレベル3は、8月7日の噴火を見て引き上げたものです。噴火はレベル1のまま起こりましたから、見逃し失敗でした。浅間山でも噴火予知できなかったことが、気象庁をずいぶん失望させたようです。まだわかりませんが、先月25日のレベル2引き上げは空振り失敗に終わりそうです。

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気象庁は、噴火警戒レベルを上げたあと、どんな異常が火山に発生しているのかを説明した「火山活動解説資料」を発表します。上は、浅間山の解説資料から抜き出したものです。近い過去の噴火経過、噴煙の高さ、二酸化硫黄ガスの放出量、火映、地震、地殻変動などの時間変化をグラフで情報提供しています。

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箱根山の噴火警戒レベル表です。気象庁は、噴火警戒レベルを発表する火山すべてにこのような表をつくって公開しています。インターネットで見ることができます。それぞれのレベルには、想定される現象と過去事例が添えられています。

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噴火警戒レベルごとの規制範囲は、このように地図で示されます。レベル3では700メートルまで立入禁止と書いてあるのが読み取れます。規制の権限は地元市町村にありますから、地元市町村と気象庁が事前に打ち合わせしてこのような地図をつくっておきます。

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噴火危機に至ると、新聞社やテレビ局がその地図を利用して、そのとき実施されている規制をわかりやすく示した地図を自作して、住民や訪問者に伝えます。

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火山の危険度を示すシステムは、日本では噴火警戒レベルだけですが、アメリカには、火山警戒レベルと航空カラーコードの2種類があります。ハワイ・キラウエア火山の事例で説明します。2007年6月27日の火山警戒レベルはADVISORY(助言)、航空カラーコードは黄でした。7月2日に、前者をWATCH(注視)に、後者をオレンジに引き上げました。火山警戒レベルは陸上にいる人への、航空カラーコードは空中を飛行するパイロットへの情報提供です。

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日本には、火山噴火予知連絡会という火山専門家を集めた組織があります。気象庁長官の私的諮問機関であって、法律で定められたものではありません。しかし、伊豆大島1986年噴火や雲仙岳1991年噴火などの経験を通して、噴火危機時に国としての意思決定をする最高意思決定機関だと社会が認知するようになりました。火山に重大事態が発生すると、予知連が召集されて、長時間の会議をしたあと会長が記者会見するのが習わしです。

予知連は2000年3月の有珠山で噴火予知に見事に成功しましたが、同年8月の三宅島では、火山の動きをつかみそこねました。大規模なカルデラ陥没が静かに進行していることになかなか気づけませんでした。2014年9月27日の御嶽山は、噴火したその日に登山者63人が死亡してしまったため、手も足も出ませんでした。

臨時召集された会議のあとの記者会見では、会長が統一見解を発表するのが常です。統一見解は、報道機関が求めるし、地元自治体が求めます。専門家の見解を統一してくれないと、現象を理解できないし、対策できないという論理らしい。

しかし、専門家の意見は十人十色です。そもそも未来は確定的に予測することができません。見解を統一するのは、ほんとうは、無理です。

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世の中には、無理に統一することなく意見分布をそのまま公開している例もあります。最高裁判所は、重大案件に関して、裁判官ごとの意見一覧を出すことがあります。脳死は死か問題がそれでした。経済予測は、新聞が複数のエコノミストによる見通しを表にして示すことがごくふつうになされます。

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噴火危機においても、火山専門家それぞれによる今後の見通しが表になって発表されるといいなあ。私がこれを言い始めて30年近くなりますが、一部の意欲的新聞が予知連委員に取材してそういう表を大きく掲載したことがあります。

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火山にホームドクターを配置するのがよいとする意見をしばしば目にします。火山ホームドクター制度にはたしかに長所があります。その火山を熟知しているひとが、その地域に住んで住民と顔が見えるつきあいをすれば、いざ噴火が迫ったときに情報伝達と命令系統が一元化できます。

いっぽう短所もあります。ホームドクターがもつ知見は最新でなく合理的でない場合があります。そして、その人の全人格に依存して危機管理の重要部分を実施することになります。なにより困るのは、その火山が噴火しなかったら論文が書けないことです。そして、火山はめったに噴火しないものです。

これらの欠点を補うには、噴火危機が迫った火山に対策チームを派遣する仕組みをつくって、日本のどこか一か所で人材を養成するのがよいと思います。

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今日は最後に心理学を話します。「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがあります。ひとりでは解決できない問題も、三人集まれば解決すると言います。しかし、集団の意思決定は、その集団の中の有能な個人の決定よりも優れたものにはかならずしもなりません。これを集団浅慮といいます。

伝えるべきリスクがあると思う個人が、その組織の中で自分の立場を守ることを優先してしまって、そのリスク(懸念)を表に出さないことがあります。若いみなさんもきっと、すでに気づいているでしょう。経験したことがあるでしょう。

集団の意思決定は、リーダーの見識に大きく左右されます。集団浅慮を排除した自由な意見交換を可能にする雰囲気作りが大切です。


もっと知りたい人へ
気象庁の火山監視業務には課題が山積み。岩波科学、2017、87(3)、287-293。

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