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富士山の崩壊と修復

東麓に御殿場土石なだれを発生させた2900年前の富士山崩壊は、山頂火口縁まで届いた。いま山小屋が連なる吉田口登山道と御殿場口登山道・富士宮口登山道のあいだの、火口中心から見込んで100度の火口縁がすっかり崩れた。

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富士山はそのあとすぐ、2300年前までの600年間で山体を再構築した。新しい山体も、古い山体も、2300年前の湯船第二スコリアに一様に覆われている。

吉田口を登り詰めたところの山小屋と、御殿場口・富士宮口を登り詰めたところの山小屋と神社が、山頂火口縁のその位置にあるのは、再構築した新しい山体と古い山体が接合したところに広い平坦面ができたからだ。崩壊し残った古い山体の縁に沿って登山道を付けたから、ちょうどよい場所だった。

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富士宮口を登り詰めたところにある浅間大社と広場

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山頂火口縁まで切り込んだ2900年前の富士山崩壊の傷跡を、グーグルマップ3Dを利用して推定して青色の破線で示した。

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山腹で崩壊壁の位置を正確に決めるはむずかしい。その後の噴火で崩壊凹地がほぼ埋められてしまったからだ。それでも、小富士から望むと、崩壊壁を特定することできる。須走口登山道は、崩壊し残った古い山体の溶岩を登り、2900年前から2200年前の間にできた新しい山体表層をつくる厚いスコリアを駆け下る。砂走りだ。

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横浜市内から遠望した@fujiyamao さんの富士山写真に加筆した。須走口登山道(白)は2900年前の崩壊を免れた硬い溶岩の上につけられている。いっぽう下山道とブルドーザー道(赤)は、崩壊後の噴火でできたスコリア斜面につけられている。

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下半分を森に覆われた島のような地形が獅子岩だ。周りを新しい溶岩に取り囲まれている。このような森をハワイではキプカと呼ぶ。2900年前の崩壊後まもなく流れ出た大量の溶岩を黄色に塗った。深い谷はひとつもなく、滑らかな表面をなす。雪なだれで地表が毎春更新されるため、植生の侵入が進んでいない。

崩壊直後に山頂から噴火を繰り返した。

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崩壊によって発生した御殿場土石なだれの上には、レスを挟まずに、降下スコリアが何枚も厚く重なる。富士山は山体崩壊した直後、噴火を繰り返して傷跡をすみやかに修復してしまった。宮地直道さんのテフラ層序では、S-17, -18あたりに相当するが、彼はスコリア層の間に挟まれる何枚もの火山灰を非噴火堆積物であるレスだと解釈して、崩壊直後しばらく富士山がひっきりなしに噴火したイメージを持たなかったようだ。

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御殿場土石なだれの表面は浸食されている。断面に堆積物パッチはあるが、流れ山はない。表面は平らだ。その上によく成層した降下スコリアが重なる。レスは挟まっていないが、土石なだれを起こした山体崩壊のあと数週間以上の時間が経過してからスコリアが何回も降ったようだ。

最高点が火口西縁にあるのは、東縁が崩壊したから。

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日本の火山の最高点は山頂火口縁の東側にあるのが普通だ。高空では常時西風が吹いていて噴出物が東側に多く積もるからだ。浅間山の最高点(2568メートル)は火口の真東にある。

これに反して富士山では、最高点の剣ヶ峰(3776メートル)が西側にある。山頂火口縁の東半分が2900年前に崩壊して失われてしまったことによる。 

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@titan21さんの2019年10月24日写真に、2900年前の崩壊直後に再構築された部分を白破線で記入した。

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半かけの円錐がうまく修復されたとするのはあまりに都合が良すぎると思うかもしれないが、岩手山にも同様の修復が見られる。岩手山は6900年前に崩壊したが、その崩壊凹地の中をほぼ完璧に修復して南部富士と呼ばれる整った円錐形になった。ただし、山に近づいて地形を注意深く観察すると崩壊壁が特定できる。

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北東方向に崩壊した岩手山の最高点(2038メートル)は、火口の東縁ではなく北西縁にある。

大円錐火山が山頂火口縁を巻き込んで崩壊したあと、山頂火口から大量の溶岩を流して欠損を修復するのは、とくにめずらしいことではないようだ。破れた火口縁は低くなるから、溶岩は必然的にその方角に流れ下る。もし崩壊が山頂火口縁を巻き込まなかったのなら、山頂火口はどの方角の山腹が崩壊したか知らないから、その方角に溶岩を集中的に流して欠損をほぼ完全に修復したと説明することこそが都合良すぎる。

まとめ

富士山は2900年前に、山頂火口縁を巻き込んで東に大きく崩壊した(御殿場土石なだれ)。崩れたすぐあとに噴火を繰り返して、2200年前までに修復を完了した。登山道はどれも崩壊しなかった堅牢な古い山体の上に付いているが、下山道は修復された崩れやすい山体の上を選んで付いている。いま日本最高点が火口西縁にあるのは、富士山の東縁が2900年前に崩壊し去ったからである。

▼印刷公表
富士山の氷河堆積物と山体崩壊。古今書院地理、2018年6月

追記

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2900年前に崩壊した斜面(画面左側)は、物質が足りなくて平滑。産経新聞、2020年9月21日。

地理院地図の無雪写真の上に描いた2900年前の崩壊壁。2023年7月25日。

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