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12月4日(1)汚染物質の処理

原発事故で大気中に出た放射性元素は空中を漂ったあと、地表に落ちて土や樹木などに付着します。その扱いはたいへんやっかいです。有害物質の処理問題に留まらずに、気持ちの問題にも発展します。

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最初にこの問題が顕在化したのは、2011年8月、京都の五山送り火でした。五山送り火はお盆の精霊を送る伝統行事です。毎年8月16日行われます。祇園祭と並んで夏の京都を代表する風物詩です。この送り火で燃やす薪に、岩手県陸前高田市にあった高田松原の松を使う計画がありましたが、放射能汚染を不安視する声が大きくなって、結局中止になりました。

高田松原の松をすっかりなぎ倒した津波は、原発事故を引き起こしはしましたが、確実に事故前に起こった津波です。松は、原発事故によって倒れたのではありません。その前に倒れました。陸前高田は福島第一原発から180キロ離れていますから、倒木の上に数日後に降り積もった放射性物質の量はわずかです。私の地図を見ると、陸前高田の汚染は0.125uSv/hで、東京や前橋といくらも変わりません。

高田松原の松は、放射能汚染がひどいからではなく、原発事故を起こした東北地方の松だからという理由で、感情的に忌み嫌われたようです。1200年の古都にふさわしくない、縁起悪い、と。

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年が変わって2012年になると、東北地方沿岸に散乱している津波がれきを全国で広域処理する計画が始まりました。津波がれきが放射能に汚染されている程度も、高田松原の松と同じで、とくにひどいわけではありません。同じ東北地方と言っても、福島第一原発から遠く離れた岩手県の津波がれきの汚染はとても軽微です。しかし、東北地方から来た、津波がれきである、という二つの理由で、各地で拒絶運動が起こりました。

津波がれきは拒否するものの、東北地方の農作物は受け入れるという奇妙な現象も発生しました。農作物の背後には生産者である人間がいて、それをあからさまに拒絶できない心理が働いたのでしょう。そんなことをすると体裁が悪いが、津波がれきはモノだから拒絶しても倫理的にそしられることはない、と踏んだのでしょうか。

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環境省は、2011年12月に、汚染状況重点調査地域を定めました。0.23uSv/h以上の放射能に汚染された地域から申請を受けて、市区町村別に指定しました。いまから考えると、下限を0.23uSv/hとした計算手順には大きな問題がありましたが、ここではその妥当性を議論するのはやめておきます(あとでします)。

0.23uSv/hを超えていても、申請しなかった市区町村は指定しませんでした。評判が下がって観光を初めとする地域産業に悪影響があると判断したところは指定されるのを希望しませんでした。しばらくたってから、指定解除を申し出た町村もありました。

汚染状況重点調査地域に指定された市区町村には、汚染物質を取り除くための除染経費が国から支給されました。そのお金を使って市区町村が除染しました。原発に近い除染特別地域は、国が直接除染しました。

除染には莫大な予算が投じられました。自然災害のあとで復旧工事に予算がついて、災害で仕事を失ったひとたちを雇用することがよく行われます。原発事故のあとも、除染という事業を興して経済を回す政策がとられました。

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除染とは、地表に降り積もった放射性物質を取り除く作業のことです。落ち葉を取り除いて、さらに表土を5センチはぐことが基本です。住宅の屋根や壁は、高圧洗浄水を吹き付けるだけでは放射性物質がとれないことがわかって、屋根の瓦一枚一枚の表面を布でふき取る手順が広く採用されました。

こうした除染は、福島市や郡山市などの都市では効果がありました。しかし、農村部での効果は限定的です。たとえ放射線量率が下がっても、それは一時的で、周囲の山林から再び放射性物質が風に乗ってやってきて、元の木阿弥になってしまいました。

田畑の表土5センチは作物を育てるにあたって、とても大切な部分です。それを取り去らなければならなかったことは、農民を深く苦しめるものでした。

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除染で出たゴミは、最終処分場に持ち込まれることになっています。それは福島県外につくると政府は約束しましたが、どこになるか、まだ決まっていません。

最終処分の前に、中間貯蔵施設を福島第一原発の近傍につくることが決まっています(上図)。

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中間貯蔵施設に持ち込む前に、仮置場を各県につくります。仮置場にもっていくまで暫定的に置いておく仮仮置場も設けられています。上の右の写真は、福島県南相馬市小高の仮置場に積み上げられたフレコンバックの山です。ドローンで撮影しました。

仮仮置場にも持っていけないときは、除染した場所の一角に置いておくことになります。上の左の写真は福島市内で撮影しました。敷地内の表土5センチをはいで、1.5メートル角の立方体フレコンバックに収めて敷地内に置いています。家によっては、穴を掘って汚染された表土をまず埋めて、その上に深いところにあった土をかぶせる方法も取られました。天地返しと言います。

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事故から4年半たった2015年10月、セシウムに汚染された牧草500トンを白石市が1400万円かけて浪江町の吉沢牧場に送りました。送った牧草のセシウム濃度は1000Bq/kg程度で、移動することが禁じられている8000Bq/kgには遠く及びません。原発近くに立地する吉沢牧場では、セシウム汚染したため出荷できない牛を多数飼育していて牧草がほしい事情がありました。

これを知った浪江町長が、11月20日に白石市を訪れて抗議しました。

この問題には、さまざまな意見があります。
1)汚物を持ち込まれるのはいやだ。この事例を皮切りにして、汚物が際限なく持ち込まれるのを恐れる。(浪江町長)
2)牛にエサを上げたい。(吉沢牧場)
3)放射性ゴミを処分したい。(白石市長)
4)牛に放射性物質を食べさせるのは、動物愛護の精神に反する。(第三者)

さて、みなさんは、どう思いますか?

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放射性ゴミは、除染ゴミと特定廃棄物に分けられます。特定廃棄物は、焼却灰と水処理後に残る汚泥です。それぞれの処分フローは次になっています。

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なんだか複雑ですね。8000Bq/kgを超えると、勝手に処分できないようです。8000Bq/kgを超える放射性ゴミは、焼却などで減容したあと、10万Bq/kgを超えるかどうかで、既存の管理型処分場に持ち込むか、中間貯蔵施設に持ち込むかが決まるようです。

なんにせよ、やっかいなことです。

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