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御殿庭は1500年前より古い
富士山南東中腹にある御殿庭が江戸時代の1707年12月噴火で、すなわちわずか300年前に、形成されたとする説が最近になって相次いで発表された(馬場ほか2022,小山2023)。しかし私は御殿庭を、1万3000年前に氷河が残したモレーンだと考えている(早川2018)。
御殿庭が300年前か1万3000年前か、確実に判定できる方法を思いついた。南東側に隣接する小天狗塚との上下関係を調べるのだ。小天狗塚は1500年前の噴火で形成されたスコリア丘である。御殿庭が300年前なら小天狗塚の上にあるはず。1万3000年前なら小天狗塚の下にあるはずだ。グーグルマップ衛星写真で見ると、御殿庭と小天狗塚の間には森があって地表の色が赤い。ここに行って調べればよい。
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2023年6月5日に現地に行った。富士宮口五合目から下って、登って富士宮口五合目に戻った。扉画像が調査ルートである。
御殿庭の地表には大小の溶岩塊が散在している。表面がつるつるに磨かれた丸っこい大岩も少なくない。ここはいつもは強い風が吹いているから、風で飛んできたスコリアの粒でつるつるに磨かれたのだ。300年は、これをつくる時間としては短すぎるように思える。1707年噴火で降り積もった黒い新鮮なスコリア礫が地表を薄く覆っている。
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御殿庭を西翼から東翼に横断して、小天狗塚を見下ろす位置に来た。目的地は緑のカラマツ林の中だ。東翼の地表を覆う1707年スコリアは、西翼より厚い。等層厚線によると、東翼中央部で期待される厚さは15センチだ(この記事一番下の図)。
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下ってカラマツ林の中にはいるとすぐ、1707年スコリアとは異なる細かいスコリアが地表に現れた。1707年スコリアの分布域から外れると、小天狗塚スコリアが地表にあることが確認できた。
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さらに下ると細かかったスコリアは粗くなった。そして地表面がコケでびっしりだ。空中写真で赤いのはコケのせいだった。岩石や地層の色ではなく生物の色だ。コケの生育に適した湿った環境がここでは成立しているのだろう。この付近の空中写真をよく観察すると、森林限界に近い森の隙間にこの赤が他にもみつかる。
下二ツ塚にも同様の赤い地面が2か所にある。後日行ってみたらこちらは高温酸化した赤いスコリアだった。スコリア丘内部の露出だった。空中写真の赤の色合いが少し違う。
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密生したカラマツが歩みを妨げるなか、苦労してしばらく進むと谷を挟んで向こうに小天狗塚スコリア丘の崖錐斜面が突然現れた。谷を渡って確認したら、スコリア礫ばかりからなっていた。
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小天狗塚から御殿庭を振り返った。あちらにはスコリアもあるが、モレーン由来の溶岩片が若干多いように見える。ただし、角が取れた大きな岩塊は見えない。
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1970年代の空中写真には、ここに一本の谷がはっきり写っている。いま下って来た斜面はまだカラマツに覆われていない。谷は、御殿庭と小天狗塚の境界ではなく、小天狗塚スコリア丘の中に切れているようにも見える。
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御殿庭側の谷壁にスコリアが多くて小天狗塚側とあまり変わらないのは、そうであることを意味しているのかもしれない。200メートル離れたところにある御殿庭モレーン排水溝の斜面には角が取れてコケむした大きな岩塊がいくつも露出する。
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下り続けると山道に出た。左に折れて進むとまもなく自然休養林歩道の道しるべがあった。小天狗塚のふたこぶの間だった。ひと心地ついてホッとした瞬間だ。
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今日の現地調査で、御殿庭の上に小天狗塚が乗っていることがわかった。小天狗塚の上に御殿庭はない。したがって、御殿庭は1500年前より古いことが確実である。300年前の噴火で形成された説は否定された。1万3000年前に氷河が残したモレーンだと考えることに矛盾はひとつもない。
簡易地質図に手を加えて御殿庭モレーンと小天狗塚スコリア丘の接合部を正確に表現した。
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御殿庭は、そして宝永山赤岩も、1707年噴火の前からそこにそのようにあった。ただし、宝永山赤岩は1707年噴火口拡大によって西側を大きく浸食された。
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