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12月18日 法律と政治

日本は民主主義による法治国家ですから、災害への対応もその例外ではありません。法律を定めて政治がそれを運用します。

まずは一般の災害から説明しましょう。災害対策基本法という法律があります。そこで、避難勧告と避難指示を規定しています。避難命令の規定は日本の法律のどこにもありませんが、それに近い規定はあります。警戒区域指定です。

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避難勧告と避難指示は、60条に明記されているように、市町村長が発することになっています。都道府県知事でも、総理大臣でも、ありません。地元の事情をよく知る市町村長が決断すべきことだと、法律は考えたのでしょう。

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また、ここで言う避難は立退きを意味します。最近、在宅避難という言葉を使って、自宅に留まって2階や崖と反対側のより安全な部屋に移動することまでも避難と呼ぶ人がいますが、法律が定める避難とそれは違います。

63条に警戒区域が書かれています。これも市町村長が指定します。これには罰則規定があります。警戒区域に無断で立ち入った者には10万円以下の罰金または拘留が科せられます(116条)。災害対策基本法は伊勢湾台風をきっかけにつくられた法律ですから、堤防の緊急工事などを想定して無用の者を排除しようとしてこの条文を設けたようです。60条の避難勧告・避難指示には、従わなくても罰則がありません。

76条に車両通行制限があります。これにも罰則規定があります。ただし、これは道路を車両で通行することへの制限ですから、どうしても必要とあらば徒歩ではいることができます。

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それでは、原子力災害を想定した法律を論じます。福島第一原発を壊したのは地震と津波で自然の力ですが、放射性物質をまき散らした福島第一原発をつくったのは人です。だから、正確に言えば、放射能汚染は自然災害ではなく人為による事故なのですが、甚大な被害が広域に及びましたから自然災害と同じかそれ以上の対応が必要です。

原子力災害対策特別措置法という法律があります。これは、1999年9月30日に起こった茨城県東海村JCO臨界事故を契機につくられた法律です。災害対策基本法を骨子にしています。

原子力緊急事態を宣言するのは市町村長でなく、内閣総理大臣です。2011年3月11日19時18分にこの宣言がありました。10年たとうとするいまも継続中です。宣言の3時間後、21時23分に3キロ圏からの避難指示が出ました。

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当時の官房長官記者発表の記録を見てみましょう。「念のための指示でございます。避難指示でございます。放射能は現在、炉の外には漏れておりません」と枝野官房長官(当時)が発言しました。「原子炉のうち、ひとつが冷却できない状況」になっているとも伝えていますが、詳細を説明していません。あのときは、「冷却できない状況」がどんなに危険なことを意味するか、私を含めて、多くの人が理解できませんでした。

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発表文を読んでみてください。情報をわかりやすく迅速に国民に提供するよりも、国民をいかに安心させるかに腐心しています。

原子力災害対策特別措置法には、災害対策基本法の読み替え手順がたくさん示されています。ただし原子力緊急事態下では、内閣総理大臣に全権が集中します。政府だけでなく地方自治体と原子力事業者を内閣総理大臣が直接指揮できます。ただし、住民を指揮できるとは書いてないことに注意する必要があります。

実際には、災害対策基本法に定められた災害対応権限者に対して、内閣総理大臣が指図することになっています。たとえば、15条の3はこう書いています。指示を行うべきことを指示するのです。内閣総理大臣自身が直接住民に指示するのでありません。

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福島第一原発事故の警戒区域指定は次のように行われました。住民だけでなく、ジャーナリストの取材も制限されました。

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原子力災害対策特別措置法に基づく警戒区域指定は初めてのことでしたから、不備も発生しました。市町村長がやるべきことをやらなかったようです。一方で、真剣勝負も行われました。立入り制限と報道の自由が真っ向から衝突しました。63条違反で罰金刑が課されたのはこのときが最初でした。その後、2014年9月に噴火した御嶽山の警戒区域でも、無断立入りした登山者が書類送検される事案が発生しました。

浪江町津島の道路に設置されたバリケードはこうなっていました。許可なく立ち入ると116条の規定により罰せられると立て札にありますから、63条警戒区域に指定しているとみられます。しかし、浪江町ではなく福島県と書いてあるところがおかしいです。

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2012年6月当時、福島県内の車両通行止めは下の図に示した多くの地点で行われていました。

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結局のところ、問題の所在は次の3点になります。
1)命を取るか、生活(QOL)を取るか。QOLは、Quality Of Lifeです。
2)立退き避難によって発生する損失をだれが負担するか。
3)国民の知る権利をどこまで認めるか。

2011年4月22日に指定された警戒区域は、1年後の2012年4月1日から順次再編されました。最初は、放射線量率が小さい田村市と川内村(のほとんど)が警戒区域から外れました。下は2013年8月8日時点の地図です。この時点で、帰還困難区域2万5280人、居住制限区域2万4620人、避難指示解除準備区域3万4000人でした。2020年12月のいま、帰還困難区域の過半も避難指示が解除されて、住民が戻れないところは原発近傍のごく一部になっています。

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実際に避難した人の数を見てみましょう。住居が警戒区域に指定されて避難を余儀なくされたひとは9万人です。このほかに自主避難した人が5万人います。自主避難者の内訳は、福島県内へ2万4000人、福島県外へ2万6000人でした。これは福島県からに限った数字です。福島県以外から自主避難した人も相当数いました。関東地方から九州や沖縄に避難した人も多数います。外国に行った人までいます。

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福島県から県外への避難者数は、2012年4月に6万2000人でピークに達しました。そのあと徐々に戻ってきましたが、2015年1月でも4万6000人が県外で避難生活を続けていました。

18歳未満の子供を見てみましょう。その数は2万人台です。半数が県内に、半数が県外に、避難しました。4年たっても避難を継続している子供が多いことに注目してください。

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人口に占める自主避難者の割合は1%程度です。地域住民がごっそりいなくなったわけではありません。いなくなった人はごく少数派です。警戒区域に隣接した相馬市でも11.8%、いわき市でも4.5%でした。

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どこに避難したかを示した日本地図です。すべての都道府県に避難したことがわかります。青が福島県から、黄が岩手県と宮城県から、です。

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ところで、災害対策基本法63条による警戒区域指定は、居住の自由を認めた憲法22条と財産権を認めた憲法29条に違反している疑いがあります。29条の3に「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」とありますが、警戒区域は公共のために指定するものではありません。その区域内に住む人の生命を守るために指定します。

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従来は、63条警戒区域に立ち入って罰則が課された事例はありませんでした。しかし、先ほど述べたように、警戒区域に入ったフランス人に10万円の罰金を課しました。この問題は憲法に照らしてもっとよく検討されるべきです。

人命保護は、本当にすべての場合において、場合によっては憲法に抵触する疑いがあっても、優先されるべきことでしょうか。たとえば、生命倫理学においては、延命至上主義から「生命の質」重視への転換がはかられています。他者に危害が及ばない範囲で、患者の自己決定権が尊重され始めています。これを愚行権と呼びます。

多少の生命の危険を冒しても自分の生活の質(QOL)を守りたいと希望する住民が、少数かもしれませんが、存在するでしょう。その人たちの意思を尊重しなくてよいのでしょうか。

次に、福島県外の汚染状況を見ましょう。汚染状況重点調査地域について先々週説明しました。0.23uSv/h以上の放射能に汚染された地域から申請を受けて、国が市区町村別に指定しました。

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この0.23uSv/hは、追加被ばく1mSv/年に相当する放射線量率として提示されましたが、遮蔽効果や線量計特性を考慮すると、約5倍の過小見積もりでした。5倍大げさに言ってしまったのです。事故から2年たった2013年9月時点では、1mSv/年に相当する放射線量率は、本当は、1.0uSv/hでした。私の地図で見ると、ほぼ福島県内に留まっていて、栃木県内にわずかにあるだけでした。

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風向きが変わって関東地方に放射能が再び来ると予想された2011年3月21日の前日に、首相官邸は「雨が降っても、健康に影響ありません」と国民にわざわざアナウンスしました。福島第一原発から放射能が風に乗ってやってくることを事前に知っていたのです。雨にぬれても健康に影響ありませんではなく、雨に濡れるな、家に留まれ、とアナウンスするべきだったと私は思います。

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下は、福島県内の7地点で3月15日に測られた放射線量率です。3月15日は放射能が初めて大量に漏れた日です。福島市の列を上から下に見て行ってください。午前中は0.06uSv/hくらいでバックグラウンドと変わりませんが、16時ころから急上昇して24uSv/hに達して、そのあとずっとその数値で留まりました。放射性物質が雪といっしょに地表に落ちてそのまま居座ったのです。

福島県は、放射能霧が襲来することを事前に知っていました。知っていたからこそ、1時間に1回測っていたのを、11時40分から10分おきに測ったのです。放射能霧が襲来する5時間前には知っていたことがわかります。

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被災者の支援はむずかしい。支援方法がむずかしいのではなく、誰をどう支援するかがむずかしい。強制避難者を支援するのは当たり前ですが、自主避難者を支援したほうがよいかは自明ではありません。避難から3年たって4年たって5年たって、公営住宅に無償で入居していた自主避難者に家賃を課すか、退去を迫るか、社会問題になりました。

東京新聞で12月8日からこの問題を扱っただろう連載が始まりました。
ふくしまの10年・母と娘 自主避難という選択

いったん支援を始めてしまうと、それが長期にわたるときは、支援の継続が困難になります。また、支援の手を差し伸べると、それをあてにして避難を決心するひとが出てしまいます。気軽な気持ちで支援を始めると、重大な結果を引き起こしてしまうことがあります。

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原発事故による放射能汚染に関わるさまざまな問題は、正解が隠れていて、みつかるのを待っているわけではありません。どれもたいへんむずかしい問題ばかりです。いろいろな考え方があります。それでも、社会としては、意思決定する必要があります。

質問

YouTube動画を再生する形式を、note記事を読む形式に変更して4回目です。オンライン授業としてどちらがよいですか?回答をMoodleのフィードバックに書き込みなさい。

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