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美瑛のうねうね丘をつくったのは霜柱

北海道中央部にある美瑛の景色は日本離れしている。うねうねとした丘がどこまでも続き、まるでヨーロッパかアメリカ大陸東海岸にいるようだ。この景観は火砕流堆積物がつくり出したと説明されることがあるが、火砕流がつくった台地の表面は平坦になるはずだ。南九州のシラス台地を思い出してほしい。このようなうねうねした地表は、火砕流がつくった堆積面では説明できない。

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美瑛の街(右上)と、その周囲に広がるうねうねした丘。標高は300メートル程度。

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美瑛の街を歩くとと、碁盤の目に区切られた通りの向こうにもくもくと白煙を吐く十勝岳が見える。

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うねうねのくぼみに赤い屋根の家がある。うねうねはすべて畑として耕作されている。左上にある二列の防風林の中をJR富良野線が走る。

このうねうねは、氷期に繰り返された凍結融解作用によってつくられた。専門的には周氷河地形と言う。寒い日の朝にできる霜柱は斜面と垂直方向に土塊を持ち上げるが、日中になって融けるときにその土塊は重力方向に落ちる。このわずかな差異を無数回繰り返すことによって、表土が面的に下方へ移動する。表面流水によって狭い谷が削られることはなく、丸っこい波状の地形ができあがる。

美瑛には厚い火砕流堆積物が分布していて、その年代は100万年前とも200万年前とも言われる。火砕流が谷を埋めてつくった広い平坦面が、そのあと何度も訪れた氷期に働いた霜柱の作用によって、いまのうねうねとした丘の連なりに変わった。

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上富良野町にはいってすぐの深山峠そばの川べりで、火砕流堆積物の白い断面を見ることができる。露出した崖すべてが火砕流堆積物からなり、基底は見えていない。

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火砕流堆積物の中に含まれる軽石。真っ白の中にキラキラと光る石英粒が目立つ。

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畑の土は淡褐色だ。クロボクではない。本州のロームよりも色が淡い。石英粒が光を反射してキラキラする。

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道路わきで新鮮な断面が見えた。地表直下10センチほどが黒く、その下に褐色部分が80センチほどある。どちらも風塵の堆積物だ。褐色部分は徐々に淡いピンク色をした火砕流堆積物に変わる。その境界ははっきりしないが、そこに100万年あるいは200万年の不整合がある。

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うねうねは畑として耕作されている。これは麦畑だ(地上写真)。

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いっぽう南隣の富良野盆地(標高200メートル)は平らだ。四角に区切られて水田耕作されている。美瑛町内でも、美瑛川などの大きな河川の氾濫原では、農地を四角く整然と区切って水田耕作している。

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1926年(大正15年)5月24日、十勝岳が噴火し、火口の周りにまき散らされた噴出物の熱でザラメ雪が一気に融けて泥流が発生した。美瑛川と富良野川を下って144人の命を奪う大災害となった。写真は富良野川と上富良野の街。大正泥流はこの画面いっぱいに広がった。

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上富良野町開拓記念館の庭に大正泥流が運んだ大木が展示されている。紫色の花はラベンダー。

(2021年7月14-15日観察)

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