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富士山の氷河

富士山の南東中腹には、1万3000年前に氷河が残したモレーンがあります。江戸時代1707年噴火できた宝永火口の下に、御殿庭モレーンと宝永第三火口モレーンが見えています。ドローン写真では宝永山(赤岩)の後ろに隠れて見えませんが、馬の背にもモレーンがあります。

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御殿庭モレーン東腕の標高2150メートル地点の地表には、淡色の火山岩塊が散在していて、黒色の1707年宝永スコリアれきがその上を薄く覆っています。

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西腕の地表では、直径1メートルを超える大きな岩塊もみつかります。大きな岩塊の角は丸くなっています。そして表面が白く風化して苔むしています。

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御殿庭モレーンの最大傾斜方向には排水溝が切り込まれていて、地層断面が見えています。荒く成層した砂れきからなります。

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ほとんどが砂れきから構成されていますが、赤褐色の粘土部分もあります。

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断面に露出する砂れきは角張っています。丸くないので水流の堆積物ではありません。

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地表に落ちている特徴的な岩石を拾い集めると、赤く酸化した石、水冷されたガラス質の石、発泡した軽石など、さまざまです。いろいろな種類の岩石が含まれていることは、モレーンの構成物としてしごく妥当です。

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富士山のモレーンはいままでだれも見たことがなかったですから、この地形と地層を見て積極的にモレーンだとわかったというわけではありません。御殿庭の地形と地層が火山の噴火ではどうしてもつくれないから、消去法でモレーンだということになります。

そして、似たモレーン地形がハワイ島のマウナケアの中腹にあることがわかっています。とくに最大傾斜方向に排水溝が切れていることがそっくりです。マウナケアでは詳しい研究がなされていて、氷河が残したモレーンであることがわかっています。

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御殿庭モレーンは、1707年宝永スコリア粒子に薄く覆われています。御殿庭モレーンを1707年噴火ではつくることはできません。もし火山噴火でできたとしたらタフリングですが、火山岩塊が落下してつくったインパクトサグが下位の地層にみつかりません。火山岩塊は、空中を飛行してここに来たのではないということです。したがって、タフリングではありません。

モレーンは宝永火口の周りに分布していて、宝永山(赤岩)と十二薬師岩ダイクを覆い、1707年スコリアに覆われています。地質図を示すとこうなります。

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2万年前から現在に至る富士山の自然史をまとめます。

2万年前、富士山は小御岳や宝永山(赤岩)などからなる3000メートルに届かない台形の火山でした。1万7000年前からたびたび噴火して山麓に大きな溶岩を流しましたが、山頂は3000メートルをわずかに超えただけでした。1万3000年前、台形の上底をつくる山頂は氷河におおわれていました。

1万2000年前から地球全体が暖かくなったので富士山の氷河はしだいに縮小しました。富士山は8000年前からしばらく噴火しませんでした。その間に氷河はすっかり消滅して、砂れきからなるモレーンがそこに残されました。

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5600年前から山頂火口で噴火を繰り返して、3700メートルの大円錐火山に成長しました。裾野が小御岳と赤岩まで届く優美な円錐形が完成しました。しかし、2900年前に山頂火口の西半分を残して東斜面がすっかり崩壊してしまいました。その土砂は御殿場土石なだれとなって麓に届きました。

崩壊直後から山頂火口での噴火を繰り返して、600年後の2300年前にはほぼいまの姿になりました。300年前に宝永山のそばから噴火して山腹に大きな宝永火口が生じました。

もっと詳しくは次をお読みください。

富士山の氷河堆積物と山体崩壊。古今書院地理、2018年6月



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