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5月22日 溶岩流

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揮発性成分の実態は水です。上昇途中で水が抜けてしまったマグマは溶岩として地表に出ます。

溶岩は、その化学組成によって分類されます。中学校では、玄武岩・安山岩・流紋岩の3つに分けたと思いますが、大学生はそこにデイサイトを入れて4つに分けてください。SiO2(シリカ)の含有量で分けます。52%までが玄武岩、60%までが安山岩、70%までがデイサイト。それ以上が流紋岩です。

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玄武岩から説明します。

玄武岩の溶岩は、その表面の形態からアアとパホイホイに区別されます。どちらもハワイ語です。アアはイタイイタイの意味です。パホイホイは、裸足でもホイホイと歩ける滑らかな表面をしているの意味です。(ほんとかどうかは知らない)

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揮発成分を持ったまま玄武岩マグマが地表に現れると噴泉を上げます。そうして温度が低下したマグマが噴火口の低所から流れ出してアア溶岩になります。

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キラウエアの1983年1月噴火開始時に割れ目から上がった噴泉(USGS

下の写真をクリックすると別窓が開きます。再生ボタンをクリックして、アア溶岩が前進するさまを動画で見てください。

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この動画は、ハワイ・キラウエア火山で2016年6月29日にUSGSハワイ火山観測所が撮影しました。真っ赤に輝く高温マグマがゆっくりと斜面を下っています。表面は、冷えて固まった黒いクリンカーで覆われています。先端が緑の森を焼いて進んでいます。ところどころで水飴のような高温溶岩が露出しています。ときおり上からクリンカーが崩れ落ちます。

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噴火を初めて10ヵ月たったキラウエアを空から見る機会がありました。噴火割れ目は1か所に集中し、そこに小さな山ができてプウオオと名付けられました。噴泉は低くなって、火口縁からマグマが高温のままパホイホイ溶岩として流れ下っていました。

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ハワイのキラウエア火山は1983年1月からずっと噴火していて、私は何度も見に行きましたが、35年たった2018年8月に終わりました。いまは噴火していません。私が最後に噴火を見たのは2017年3月でした。パホイホイ溶岩がゆっくり前進するのを大勢の観光客が観察しています。表面に縄目のような模様ができています(ropy pahoehoe)。

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動画もあります。チャネルを流れるパホイホイ溶岩のスピードはこれくらいです。

こちらは2006年12月に撮影した小さな崖を下るパホイホイ溶岩です。表面に薄い皮が浮かんで流れていることに注意してください。

これは先端が破れて真っ赤な高温溶岩がドロリと出てくる動画です。これも2006年12月です。この動画はYouTubeで31万回再生されています。

次は、2016年7月のタイムラップスです(sgphotos.com)。

パホイホイ溶岩は地表に薄く広がります。ただし、一度前進してそのまま固まるのではなく、広がった表面が冷えて皮ができたあと、後続がやってきて厚みを増していきます。それでも最終的な厚さは1メートルを超えません。

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玄武岩溶岩が押し寄せてきて森を焼くと、溶岩樹型がつくられます。左の写真は、子供の背丈の3倍もある溶岩樹型です。いったんは溶岩がこの地域にこの高さまで満々と流れて来て森を飲み込みました。やがて溶岩は流れ去ってしまいましたが、樹幹の周りだけが冷えて固まってここに残されました。いま、中は空洞です。ラバーツリー州立公園。

右の写真は、2014年10月にパホア村に届いたキラウエア溶岩がつくった溶岩樹型です。できたてで炎が上がっています。倒れた樹幹が右に横たわっています。

それでは日本の事例を見てみましょう。富士山から南へ、伊豆大島・八丈島などが玄武岩でできた火山です。

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伊豆半島の伊東市にある大室山は、4100年前に噴火してできたスコリア丘です。その周りに広がる伊豆高原は、大室山の裾から流れ出た玄武岩溶岩がつくったなだらかな土地です。小起伏をなす緩斜面はいま、おしゃれな別荘地として利用されています。伊豆高原をつくった溶岩の厚さは10メートルほどです。旧地表の低所を選んで広がりました。南東部には、旧地表が窓のように露出する小さなキプカがいくつも残っています。

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東京の南1000キロ、もっとも近い小笠原父島からでも西に130キロ離れた太平洋上に西之島という火山島があります。この島で2013年11月から噴火が始まりました。いまも継続しています。上の写真は、海上保安庁が2020年2月4日に撮影したものです。真ん中に大室山に似たスコリア丘ができていて、その麓から溶岩が四周に広がっています。いまの島の直径は2キロです。

では、下の画面をクリックして「かざんくいず2」をやってください。別窓で開きます。溶岩の表面で観察できる斑晶と石基の問題です。中学校で勉強する内容を大学生向けに詳しく説明しました。10問あります。

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中学校では、溶岩の粘りけの強さ(つまりは化学組成の違い)が火山のかたちを決めると習うようですが、それは正しくありません。火山のかたちを決めるもっとも重要な要因は溶岩の温度です。地表に出たとき温度が高ければ遠くまで流れます(パホイホイ溶岩)。温度が低ければ流れ広がることなくその場に留まります(溶岩ドーム)。玄武岩は温度が高く、流紋岩は温度が低い傾向がありますが、温度が高い流紋岩もあって、それは溶岩にはならずに火砕流として一気に噴出してとても遠くまで広がります。

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温度のほかに噴出率も溶岩の広がりを規定します。単位時間あたりどれだけのマグマが噴出するかです。噴出率が大きいほど遠くまで届きます。

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溶岩洞窟という巧妙な仕組みがあります。地下にできたトンネルを通って高温溶岩が冷えることなく遠くまで運ばれます。ハワイの大きな図体をした火山はみなこの仕組みで成長しました。

溶岩洞窟ができるしくみは二つ考えられます。ひとつは両側の溶岩堤防が接着する場合、もうひとつは流れてきた表皮が狭い通路に集積して屋根がつくられる場合です。じっさいには、後者でつくられることが多いようです。

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溶岩洞窟の天井が陥没すると天窓ができます。上空から天窓の並びを観察して、地下に溶岩洞窟が隠れていることを知ることができます。

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左写真は、真っ赤な溶岩がいままさに流れている溶岩洞窟です。白い火山ガスを上げる天窓の下に赤い溶岩が見えています。左に伸びる白い昇華物で地下の溶岩洞窟の位置がわかります(キラウエア火山、1991年)。右上写真は溶岩洞窟の中から天窓を見上げたものです。右下写真は天窓の並びが教える地下の溶岩洞窟です。

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玄武岩溶岩の表面はちまちましていて、特徴的なかたちに名前がついています。まあ、吹き出物みたいなものです。

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玄武岩溶岩が水底に噴出すると枕状溶岩になります。上へ上へと積み上がります(アイスランド)。プレートの湧き出し口である海嶺で大量に流れだしている玄武岩溶岩の多くが枕状溶岩になります。下のハイアロクラスタイトは安山岩です(小笠原父島)。

次に安山岩を説明します。

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玄武岩はアア溶岩とパホイホイ溶岩でしたが、安山岩はブロック溶岩です。とても厚くて、ときには100メートルを超えます。ブロック溶岩は、上で見たアア溶岩の動画と同じように前進します。ただし、とてもゆっくりです。そんなに頻繁に噴火しないから、前進する安山岩溶岩の動画はめったにありません。いや、動画に撮れるほど動きません。

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@DANkashmir3d

草津の本白根山から4800年前に流れ下った殺生溶岩には顕著な自然堤防が認められます。湾曲した堤防の左側を殺生溶岩が流れ下りました。画面のもっと左側に反対側の溶岩堤防があります。両端の堤防のあいだにあった溶岩は高温で流動性を保っていたために下方に流れ去りました。

堤防の右は青葉溶岩です。青葉溶岩は30万年も古いので表面がなだらかでササに覆われています。

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江戸時代の1783年8月噴火で、浅間山の山頂火口から流れ下った鬼押出し溶岩です。6キロ流れ下りました。厚さは50メートルほどでずんぐりとした地形をなす安山岩です。釜山スコリア丘の裾を破って外に出て、北側山腹をゆっくり下りました。

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安山岩溶岩は厚いから、冷却に伴って柱状節理ができます。上はカリフォルニア州、下はアイスランドの柱状節理です。

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苗場山から30万年前に流れ広がった溶岩の柱状節理です。石落としと呼ばれる場所です。中津川に深く削られて断面が露出しました。崖の下半分に露出しているのは海底に100万年前に堆積した魚沼層群です。

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この柱状節理は、みなさんも見たことがあるんじゃないかな。

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そう、東京ディズニーシーにあります。イミテーションですが、たいへんよくできています。プロメテウス火山から流れ出したパホイホイ溶岩も見事に再現されています。

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安山岩溶岩には、垂直な柱ではなくて平たい板の節理もできます。この板状節理がどうやってできるかは、よくわかっていません。急斜面を流れている厚い溶岩が後ろから押されつつ冷えるときにできるのかなあ。

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溶岩が地表水と接触すると二次爆発します。下の写真は草津白根山の殺生溶岩が沢筋に流れ込んだ場所にある武具脱(もののぐ)の池です。上の写真は富士山青木ヶ原溶岩ですが、どうやらスパイラクルではなく溶岩樹型らしい。

武具脱の池を空中から見ました。二次爆発口はほぼ円形で、直径140メートルほどもある大きなものであることがわかりです。溶岩だからと安心して、もし流れてきたときにそばに近づいたら危険でした。

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最後にデイサイトと流紋岩を説明します。

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十和田湖に突き出た御倉半島の先端はデイサイトの溶岩流からなります。平安時代の915年噴火の最後に火口内に現れてわずかに流れ広がりました。厚くて広がりが限られているので溶岩ドームと呼んでもかまいません。

溶岩ドームについては来週説明します。

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デイサイトや流紋岩になるべきマグマが地表に噴出せず地下でゆっくり固まると花こう岩になります。何十万年もかかります。そのあいだにマグマはすべて結晶化して(完晶質)、結晶粒が互いに接した等粒状組織をつくります。上の写真で、透明は石英、白は斜長石、赤はアルカリ長石、黒は角閃石です。先に晶出した角閃石はいくぶんなりとも自分本来のかたち(自形)をとっていますが、あとから晶出した残りの結晶は自分のかたちををとることができません(他形)。

最後に問題を用意しました。今日勉強したことを復習してください。

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