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12月25日(1)放射能はいつどうやって来たか

福島第一原発事故で放射性物質が大気中に出た時間を特定しましょう。3月12日と14日の建屋を吹き飛ばした水素爆発のときに放射性物質が出たと思っている人が多いと思いますが、それは間違いです。あの水素爆発で放射性物質は原子炉の外に出ませんでした。3月後半の2週間、ずっと出続けたと思っているひともいるようですが、それも間違いです。放射性物質は、東京電力が原子炉の圧力を下げるためにベント操作したときに外部に出ました。ベント操作は、どれも30分くらいでした。

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定常放出ではなく間欠放出だったことを示す明確な証拠が、放射能汚染地図にあります。北西に伸びた汚染の帯が原発を通りません。南に4キロほどずれています。

3月15日11時に原発から出た放射能霧は、風でいったん南に流されたあと、5キロ地点で北西に向きを変えて進みました。そのとき風向きが変わったのです。だから汚染の帯が原発を通らないのです。もし定常放出だったのなら、汚染の帯は福島第一原発からまっすぐ北西方向に伸びたでしょう。その日18時に出発した(やや薄い)放射能霧は原発からまっすぐ北西方向に進んでいます。放出が30分くらいの短時間で、出発してすぐ風向きが変わったために、証拠が放射能汚染地図に残りました。

私がつくった放射能汚染地図だけでなく、文科省が発表した地図でも汚染の帯が南に4キロずれています。というか、文科省の地図を見て、私が放射能汚染地図をそのように描いたのです。だって、福島第一原発のそばの強汚染地帯には長いこと立ち入れませんでしたから。

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下図右側は、2011年3月12日から24日までのSPEEDI積算図です。これは南に4キロずれていません。原発を中心にしてヒトデの足のように伸びています。定常放出が12日間続いたと仮定したから、事実と異なるシミュレーション結果になったのです。現実と明確に乖離したこの図を表紙に掲げた書籍が出版されています。その本の内容は福島第一原発事故を題材にとって科学の信頼を語ったものなのに、恥ずかしいことです。

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11月6日の「小学4年生にもわかる放射能の話」でも示しましたが、
2001年4月に三宅島から出た二酸化硫黄ガスのSPEEDIシミュレーションです。2001年ににこれほど表現力豊かなアニメーションが作られていました。それから10年たちましたから、福島第一原発事故のときは、さらに洗練されたアニメーションがあったはずです。

しかし、国が発表したSPEEDI計算結果は下のような図面セットでした。3月15日9時から2時間おきの図しか示されませんでした。国民は、これが多額の国家予算を使用したSPEEDIの出力だと思い込まされました。

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原発に近い水戸のウインドプロファイラの記録を見てください。上空の風の向きと強さを示しています。気象庁のウェブから転載しました。ウインドプロファイラの時間は、通常のグラフとは逆に右から左に進みますので、そのつもりで見てください。上空1000メートル以上は強い西風が常に吹いていました。放射性物質は南や北西に向かいましたから、移動高度が1000メートルより低かったことが確実です。

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2012年11月に茨城県内の放射線量率を測定していたら、スギ林で顕著に高くなる現象をみつけました。スギの高さは10~15メートルで、どこも林の北縁がひどく汚染されていました。原発がある方角です。鉾田市の芝生の放射線量率は0.1uSv/hですが、厳島神社の森の北縁は15倍の1.5uSv/hでした。

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放射線量率が高いスギ林を探して回ったら、福島第一原発から南に向かっていわき市を通過したあと、いったん海上に出て、茨城県ひたちなか市で上陸する幅5キロの汚染帯があることがわかりました。これは2011年3月21日に生じた汚染です。コッペパンのような形をした放射能霧が地表のすぐ上10メートルあたりを風に乗ってゆっくり移動したさまが想像できます。

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放出源から離れるにしたがって汚染帯の幅が広がる傾向はありません。ほぼそのままの幅で何百キロも移動しています。そういえば、人工衛星から見た火山の噴煙もそうでした。上の右の画像は、1990年3月13日の桜島噴煙です。幅を広げずに種子島まで届いています。

下の画像は、阿蘇と桜島からたなびく2015年1月7日の噴煙です。桜島噴煙はいくぶん広がっていますが、阿蘇噴煙はほとんど広がっていません。二つの火山で噴煙の色が違うのがおもしろい。

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関東平野を越えて、長野県佐久市の内山牧場(標高1250メートル)のモミ林も0.8uSv/hまで汚染されていました。近くの草地は0.1uSv/h程度でした。この汚染が生じたのは茨城県の1週間前の2011年3月15日でした。碓氷峠を乗り越えて信州に侵入しようとした放射能霧が、ここで凝結してモミの葉に付着したのだと考えられます。

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福島第一原発から放射性物質が100兆ベクレル以上出た放出は合計7回ありました。3月14日23時に3700兆ベクレル、15日11時に2700兆ベクレル、20日11時に1700兆ベクレル、そして20日23時に2200兆ベクレル出ました。上位4回がどれも午前11時と午後11時なのは、東電の作業スケジュールと関係するのかもしれません。

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いずれにしろ、各地で計測された放射線量率上昇(放射能汚染地図の裏面に表示してある)を福島第一原発まで時間を巻き戻して得られた上記放出時刻は、東京電力が発表した原子炉のドライウェル圧力の変化とよく対応します。

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放射性物質は、原子炉の圧力が高まって爆発するのを避けようとした東京電力が人の手でベントしたときに大気中に出たのです。これに気づいたとき私は、風が内陸に向かっているときにわざわざベントしたなんてひどいじゃないかと思いましたが、そのあとよく調べてみると、風向きが変わるのを待っている余裕はなかったそうです。必死の綱渡りで原子炉爆発を回避したようです。4つある原子炉のひとつでももし爆発していれば、放射能汚染はいまの100倍にもなっていたでしょう。


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