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富士山頂火口の形成過程

季節外れの好天に恵まれた2019年10月10日、無風快晴の富士山頂からドローン(DJI Mavic 2 Pro)を飛ばして多数の空中写真を撮影しました。それを時間をかけてじっくり観察して、富士山頂火口の形成過程を解釈しました。

富士山頂火口の層序
1800 南東半分の大穴 ⇒ 滝沢火砕流
2300 伊豆岳スコリア丘 = 湯船第二スコリア(S-22)
2900 山頂火口縁の東側4分の1が失われる(吉田口と富士宮口のあいだ)
3140 金明水溶岩湖 = 虎岩 (大沢スコリア)
   剣ヶ峰
   大沢源頭部不整合

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南側から撮影した山頂火口写真に地名ラベルを貼りました。写真をクリックすると大きくなります。吉田口から富士宮口までの火口縁は2900年前に崩壊して、すぐに再構築された部分です。

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2900年前の崩壊で火口縁の東側4分の1が失われたために、火口内を埋めていた金明水溶岩湖の断面が大きく露出しました。火口底を挟んで南側に孤立する虎岩も同じ溶岩湖の一部だったようです。

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ドローンを火口内に下ろして金明水溶岩湖の断面を正面から撮影しました。垂直の柱状節理が顕著です。伊豆岳スコリア丘に連続するスコリアが均一の厚さで覆っています。

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2900年前に崩壊したあと、崩壊壁最上部からストロンボリ式噴火が継続して伊豆岳スコリア丘ができました。いまの火口東縁をつくっています。

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伊豆岳スコリア丘に近づいてみました。中央にフィーダーダイク(噴出するマグマの通り道)があって、左右にスコリアが積もっています。南翼は高いところまで溶岩が迫っています。北翼のスコリアの下は複雑です。

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伊豆岳スコリア丘の外側斜面です。スコリアの下を破って溶岩が外にあらわれて斜面を流れ下りました(白矢印)。

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崩壊した東側4分の1を、グーグルマップ3Dに青破線で示しました。再構築された山体斜面には深い谷がひとつも刻まれていません。大沢や吉田大沢と比べると、その違いが際立っています。

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南側の富士宮口上空から。富士宮口を登り詰めると浅間大社の鳥居が迎えてくれます。平坦面を覆う薄い溶岩の上にあります。右やや遠方の鳥居は御殿場口からのゴールです。

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北に回って吉田口上空から。吉田口の山小屋群は、伊豆岳スコリア丘の最上部の溶結した赤いスコリアがつくる広い平坦面の上にあります。建物があるのが日本最高峰である剣ヶ峰。右端のピークが白山岳。

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伊豆岳スコリア丘の北翼と久須志岳の接合部分すなわち2900年前の崩壊壁の場所を、火口上空から振り返って撮影しました。そこには吉田口の山小屋群があります。

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大沢源頭部には不整合があります(白矢印)。下位にあたる左側の地層は外側斜面と同じように傾いていますが、上位にあたる右側の地層は火口に向かって傾いています。いまの山頂火口の前にあったもっと大きな火口の位置を示していると考えられます。

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グーグルマップ3Dではこう見えます。

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大沢源頭部不整合が示す古い山頂火口の範囲をグーグルマイマップにピンク線で示しました。東に開いたパープル線は2900年前の崩壊です。伊豆岳スコリア丘と金明水溶岩湖も着色しました。

この地図から読み取れる富士山頂火口の形成過程はこうです。大沢源頭部不整合が示すかつての富士山頂火口は、西に150メートルいまより大きかった。その中に火山錐が構築されて最高点である剣ヶ峰ができた。火口内を満たした金明水溶岩湖が冷え固まったあと、2900年前に東斜面が大規模に崩壊した。それは火口縁の4分の1を破壊した。崩壊後ただちに最上部から噴火を繰り返し、2300年前までに伊豆岳スコリア丘ができていまの東側火口縁をつくった。

このあと富士山は、平安時代864年噴火で青木ヶ原溶岩を、江戸時代1707年噴火で宝永スコリアを出しました。どちらも噴出したマグマは10億トンを超え、富士山最大級の噴火でした。この2回を含むこのあとすべての噴火は山頂火口からではなく山腹火口から起こっています。山頂火口のいまの直径は700メートルです。

付録 富士山頂火口の球面パノラマ二つ。高い位置からと低い位置から。写真をクリックしてください。360度自由自在に回転して好きなところを閲覧することができます。閲覧画面上で右クリックすれば、Auto Rotateを止めることができます。

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