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浅間山

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浅間山の山頂には直径400メートルの大きな穴が開いている。火口だ。火口縁に鎮座する大きな岩が千トン岩。1950年9月23日の爆発でここに着地した。火口縁ぐるりで真北を示すよいランドマークになっている。

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クリックすると球面パノラマがご覧になれます。DJI Mavic 2 Proで2019年8月5日に撮影。

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360度展開した写真。
2568 m 釜山東縁最高点
2500 m 釜山北縁最低点
2460 m 釜山スコリア丘/鬼押出し溶岩

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火口内壁に近づいてみた。縞模様が顕著だ。背後に前掛山と黒斑山が見えているから、西壁を見ている。

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南西から見た山頂火口。火口を取り巻く円錐が釜山スコリア丘。1783年噴火でできた。

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湯の平には、火山弾がつくった衝突クレーターに水が溜まった池がある。20世紀前半に頻発したブルカノ式爆発で飛んできた。

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千トン岩と同じ1950年の爆発で湯の平にできた直径12メートルの衝突クレーター。火口は画面向こうにある。火山弾はクレーターの中に留まる。

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平らな表面に黄緑色の植生がわずかについていてブロックワイズに割れている地層が吾妻火砕流だ。鬼押出し溶岩を覆っている。吾妻火砕流は1783年8月4日午後に流下した。だから、鬼押出し溶岩はそれ以前にすでに北側山腹を下っていたことになる。

この観察は、鬼押出し溶岩は8月5日に鎌原村が土石なだれに席巻されたあとに人知れず流れ下ったとする従来の解釈に変更を強いるものである。

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鎌原土石なだれを発生させた柳井沼の窪地。爆発のあと、すぐに鬼押出し溶岩が半ば埋め立ててしまった。

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鎌原土石なだれによって柳井沼から3キロ移動してきた黒岩。鬼押出し溶岩の破片だと解釈される。

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天明三年七月七日に土石なだれによって埋められた鎌原村は、その年のうちにその場に再建された。いまの嬬恋村鎌原地区。

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鎌原の北はずれにあるこじはん石。土石なだれによって運ばれてきた黒岩である。こじはんとは午後のおやつのこと。農作業の合間、この岩に腰を下ろしておやつを食べる。

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