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批評家に回った瞬間に老ける

※ここでいう批評家は、専門的な批評家ではなく、スタンスとしてのなんちゃって批評家のことを指します。

直近1ヶ月くらい、ずっとChatGPTについて考えているのですが、これだけトンデモないことが起きているのにリアルの世界では全然話している人がいなくてビビります。私としては、「完全にゲームルールが変わった!ここからは別のゲームだ!」という感じで、Twitterを見たら同じような考えの人がたくさんいるのですが、Twitterの外だと(一部のツイッタラーを除いて)まるで話題にならない。本当に理解できないので、一人だけ世界滅亡を知っているみたいな(実際は滅亡するわけじゃないし良い話なんですけど)孤独感を味わっています。2人だけ地球滅亡を知っているが、誰も信じてくれないので段々話がおかしくなっていくドントルックアップというNetflix映画を思い出しました。

ドントルックアップのあらすじ:
落ちこぼれ気味の天文学者ランドール・ミンディ教授はある日、教え子の大学院生ケイトとともに、地球に衝突する恐れがある巨大彗星の存在を発見し、世界中の人々に迫りくる危機を知らせようと躍起になる。仲間の協力も得て、オーリアン大統領とその息子で大統領補佐官のジェイソンと対面する機会を得たり、陽気な朝のテレビ番組「デイリー・リップ」に出演するなどして、熱心に危機を訴えてまわる2人。しかし人類への警告は至難の業で、空回りしてばかり。そのうちに事態は思わぬ方向へと転がっていき……。

Netflixより

そんな時、以下の記事をTwitterで見かけて、「孤独感の正体はこれだ!」と思いました。

「私はいつも同じことを言うんですが、課題は何かとか、懸念は何かとか言わずに、どんどんやればいいんです。日本にまん延している空気感なのですが、課題を挙げて、何か分かったような気になって、実際には行動しない。それでは意味がないです。」

別に、ChatGPTについてリアルでは誰も知らないという話ではありません。そこではなくて、「ChatGPTは●●と打つと、こんなトンデモ回答が返ってくるwこんなんじゃ使い物にならないw」という風に、今この時点のみを見て評論している感じに孤独を感じているんです。しかも、自分で触ってみて「こんなトンデモ回答が出てきたw」と言うならまだしも、触ってもないのに「使えない」「そんなものを使うなんて危険だ」と評論だけしているのがなんか寒いなと。なぜなら、技術は今の時点で頭打ちなわけではありません。1歳の子供に「九九も言えないw」とは言わないじゃないですか。それと一緒で、ChatGPT含め色々なAIツールはまだやっと立って歩けるようになったところかもしれませんが、逆に言えば今後どのような可能性を秘めているかはかなり広いということです。

だからこそまずは触ってみるべきだと思っているのですが、とはいえそれを全員に強要する権利もありません。ですが、ChatGPTについて騒いでいるのを見て、「なんかまた騒いでるよw」と小馬鹿にするような人も見受けられ、それは違うだろと思っています。学生時代にいたと思うのですが、真面目に勉強してる人に対して「ダッサwwwwww」と笑ってるみたいで、なんかそっちのがダサくないですか?

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