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【感想】NHK『歴史探偵』第2回「平安京ダークサイド」

昨日2021年4月7日(水)22:30~23:15は、NHKの歴史番組「歴史探偵」2回『平安京ダークサイド』を視聴しました。
この番組は、今まで放送していた「歴史秘話ヒストリア」の後番組です。
今回のテーマは、平安京+ダークサイド。
いい感じで、すこしマニアックになってきました。
ダークサイドというからには、平安京の裏側を教えてくれる予感がします。
平安京といえば、国風文化が栄えた貴族の優雅な町というイメージ。
実は、平安京には意外な姿があった。というのが今回のテーマです。

何かどこかで見たことあるなあ、と思いながら見ていたら、やっぱりそうでした。
ブラタモリ・・
前回の参勤交代編では、タイムスリップで大名行列を再現していましたが、今回は、ブラタモリ風に地形を学びながら謎を解き明かす方法でした。
地理・地学好き人間には、格好の番組!

「無く夜ウグイス平安遷都」で有名な794年、桓武天皇が平安京に遷都します。
平安京といえば、碁盤の目状に道路や家屋が並んだ長方形のイメージですが、それは設計図上のもので、本当は実在しなかったと。
4.5km✕5.2km、10万人~12万人の人口だったそうです。

■ジオラマの平安京
平安京創生館に展示されている復元模型のジオラマを360°カメラで撮影します。
ジオラマで11m✕10m、朱雀大路の実際の幅は84mという大きさです。
それによると、朱雀大路の大通りに門がほとんどありません。
つまり、外国人に美しく魅せるための大路でした。
一般住民は住めず、合法的に使えなかったので、牛や馬、畑、ホームレスしかいなかったようです。
平安京の地図をみると、左京と右京で趣が異なります。
右京は緑が多く、南西部では西京極大路、九条大路は道が欠けてしまっています。

■朱雀大路だったところへ
かつて朱雀大路だった、朱雀大路跡の石碑があったところに実際行ってみます。
旧朱雀大路、今では17.6mの幅しかありません。
堀川通、烏丸通がありますが、平安京より東に片寄っています。
なぜ東に片寄っているの?
右京は人が住めなくなり、左京に住んだようです。
なぜ、右京に人が住まなくなったのでしょう?
紙屋川を見ると北側は蛇行しています。
南を見ると、まっすぐです。
平安京を作るときに造成されたということが分かります。
どうも悲劇が起きていたようです。
大雨で砂利が一気に流れ洪水が起きやすかったのです。
さらに致命的なのが、南西部は土地が低かった。
道祖川、野寺川、旧天神川など、何回も開削されています。
982年の池亭記に「右京は廃墟になった」とあります。
史料に証拠がありました。

なるほど、これは定説なんですね。
奈良時代以降は史料も増えてきて、歴史の真相が明らかになるのは良いことです。
古墳時代は史料が乏しく、古墳くらいしか残っていないので検証が大変ですから。

河合敦さんによると、跡地は耕作地になって、これらの川は田や畑に水を引くための水路になったようです。

ここで平安クイズ
人が住めなくなったことで生まれた京都名物は何でしょう?
→答えは九条ネギ
九条は京都の南の地域ですね。

■もっとブラックなこと
さらにブラックなのが、犯罪都市だったということです。
「群盗」が蔓延っていた。
この群盗、最大80人にものぼる規模だったとか。
群盗とは、馬に乗り弓矢で武装した盗賊集団、公卿も襲われたほどでした。
近江八幡市の賀茂神社で足伏走馬が伝わります。
小柄の和駒にのり、221cmの和弓を持ち、時速40km、真後ろにも弓を射つことができました。
技術と攻撃力は相当なものだったとか。
そして、群盗を取り締まる組織が「検非違使」です。
検非違使、教科書で習った記憶がありますね。
群盗は今で言う「半グレ」で、実態がわからず、なかなか捕まらなかったとか。
検非違使、なんだかポンコツだったようです。
80歳でも現役で、早く辞めたいけど・・・と愚痴っていた。
平安京、犯罪に悩まされていました。
その割に、平安京は城壁がなく、自由に人が出入りしていたらしいです。
本当に取り締まる気があったのかどうか、よく分かりませんね。

■貴族もブラック
とんでもない犯罪者がいました。
法皇に矢を放った貴族がいました。
貴族には免罪特権があったため、捕まりません。
これですと、自分で自分を守るしかないのです。
地方役人が群盗になることもありました。
年貢を集めようとすると、貴族が横取りし、役人は自腹で補填するしかありません。
そうなったら、取り返せばいい、都で奪い返すのです。
やられたらやり返す。
貴族もポスト不足で、地方に出て有力豪族と婚姻関係を結び生き残るしかありませんでした。
武士の誕生です。
貴族と武芸に優れた豪族のハイブリッド集団、それが「武士」です。
平将門もボディーガードでした。
平清盛、源頼朝、徳川幕府まで武士が実権を握るきっかけは群盗だったのかもしれません。
しっかり、来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の宣伝も入りました。

おわり

確かに、平安京のイメージは作られたものと今まで思っていましたが、ブラックな裏側が見れて面白かったです。
観光地として京都のイメージが高められたのは良いことではありますが、本当の歴史も知っておく必要があります。
平安時代は温暖でしたので、洪水が多い反面、食料は豊富だったのではないでしょうか。
ホームレスも生きながらえる温暖な時代だったので平安となったのでしょう。
気候変動と歴史の関係を是非やってほしいですね。

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