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【感想】NHK 歴史探偵「鎌倉バトルロイヤル」を視聴しました

2022年7月20日(水)22:00~22:44、NHK 歴史探偵「鎌倉バトルロイヤル」を視聴しました。

<始まる前に>

今日は大河ドラマの本当の番宣です。
「鎌倉殿の13人」のこれからの展開がわかっていいですね。

<NHKのあらすじ>

「歴史探偵」と「鎌倉殿の13人」のコラボスペシャル!
大河で三浦義村を演じる山本耕史さんが緊急出演。
頼朝の死後、繰り広げられる御家人たちの権力争いを徹底調査する!

■スタジオで

スペシャルゲストの山本耕史さん登場です。
北条義時の盟友、三浦義村役を演じています。
山本耕史さん「一話から最期までいるのですが、色んな人がいなくなっていくんですね」
鎌倉殿の13人は集団指導体制です。
佐藤所長「一言でいうと、全然まとまらないんだ」
まず取り上げるのが北条時政です。

■時政の野望

「曽我物語図屏風」です。
・松田美沙子さん
1193年の巻狩りが描かれています。
源頼朝が主催となっている、一大イベントが富士の巻狩りです。
対になる屏風に描かれたのは、曾我兄弟の敵討ちでした。
曽我兄弟が工藤祐経を討ち果たします。
なぜ兄弟は敵討ちの場として富士の巻狩りを選んだのでしょうか?

■富士宮市へ

・高橋菜月さん
バス停に狩宿とあります。
仮の宿舎を営んだといわれ、わざわざ宿を立てるほどでした。
頼朝の嫡男・源頼家12歳、見事獲物を仕留めます。
次の将軍は頼家である、と印象付けるために巻狩りを開催しました。

■陣馬の滝(富士宮市)

巻狩りゆかりの場所は20箇所以上。
南北20km、東西10km、3万の武士たちが参加していたのです。
御家人ではない曾我兄弟でも紛れ込むことができますが、敵がどこにいるのかわかりません。
・伊藤邦彦さん
北条時政の助けなくしてできるはずはない。
時政は、曽我兄弟の烏帽子親まで務めた間柄でした。
時政は、なぜ兄弟を手助けしたのでしょうか?
そこには、秘められた野望があったのです。

■伊東市

鉱物が採れるといいます。
中世の製鉄炉の跡にみられるように、製鉄が行われていたと考えられていたのです。
北条時政は、工藤一族の土地を奪おうとしたというのです。
巻狩の屏風には、敵討ちを果たした後の頼朝に迫る曾我兄弟が描かれています。
頼朝の暗殺まで目論んでいた可能性があるのです。
伊藤邦彦さんは、その要員に曽我兄弟を利用しようとしたのではないかと考えています。
「吾妻鏡」
時政は、頼家の代わりに源実朝を次の将軍にしようと考えたとされます。
頼家は、比企能員の館で育てられた親代わりの存在になっていました。
伊藤邦彦さんによると、時政は比企氏の幕府になってしまうとあせった。
しかし、曽我兄弟の襲撃は失敗に終わります。

■スタジオで

佐藤所長「頼朝の暗殺まで計画していたのは驚きです」
山本みなみさん
「曽我兄弟仇討ちは、専門家でも意見が分かれるところです」
「乳母の存在があり、実子以上のつながりがある場合もありました」
伊東市の海の砂を借りてきました。
磁石を近づけると砂が吸い付きます。
山本みなみさん「伊東市は、地理的にもすごく魅力的だった」
山本耕史さん「三浦義村はかなりのくせものだったそうです」

■比企能員

鎌倉で北条と比企との激しいバトルが繰り広げられます。
・山本みなみさん
比企谷と呼ばれる妙本寺一帯が比企能員の館跡です。
材木座一丁目は、鎌倉時代前期、材木が入ってきて荷揚げする海が近かったのです。
交通の要衝に館を構え、政治、経済の両方で強い力を持っていたのです。
しかし、比企一族がたった一日で滅亡します。
その手がかりが、「吾妻鏡」に残っています。
建仁三年(1203年)9月2日朝
頼家を比企能員が見舞いに訪れます。
北条を滅ぼす密談をした。
政子が密談を時政に報告します。
しばらくして比企能員がやってきます。
そして、鎧も身に着けていない無防備の比企を殺しました。
これが比企能員暗殺事件です。
不可解な点ばかりです。
密談は聞き取れるのか、実験してみました。
セリフが聞こえないです。
吾妻鏡には現実では起こり得ない話が書かれていました。
「愚管抄」の比企暗殺の記述を見てみると、
「比企の世になることをおそれ、比企能員を招いて殺した」
吾妻鏡は、政子の立ち聞きの話も書かれていない、創作の匂いがします。
もう一つの疑問、比企能員はなぜライバル時政の館に向かったのか?
吾妻鏡に「時政の館で葉上律師が取りしきる」とあります。
葉上律師とは、栄西のことです。

■京都・建仁寺

開山堂、栄西の墓所です。
建仁寺の開基・源頼家の像があります。
頼家が帰依する仏事なら比企能員が断ることができません。
栄西禅師が行う仏事に鎧、甲冑をつけていくわけには行きません。
時政、恐るべし
時政が頂点に上り詰めたのでした。

■スタジオで

佐藤所長「比企能員の散り際は大河ドラマまでは秘密でございます」
山本耕史さん「ちょっと義村がね・・・」
山本みなみさん
「頼家はなくなるだろうと思っていたら回復してしまいます」
「最終的に頼家は時政の指示により暗殺されます」
伊豆には「病相の面」という頼家のお面が残されています。
殺すために漆を入れられてこのような膨れた顔になりました。
山本耕史さん「義村はいちばんの策略家というか、出る杭は打たれるところにはいかないのです」
ある人物が立ちはだかります。

■元久二年(1205年)7月20日、北条時政追放

なぜ失脚したのか?
伊豆の国市に謎を解く鍵がありました。
北条氏の館跡で、お皿、かわらけという儀式で使われる素焼きのお皿が発掘されました。
関東地方で出土するかわらけは柔らかですが、出土したものは京都の作り方をしたかわらけでした。
「源平闘諍録」に北条氏と京を結びつける文がありました。
・山本みなみさん
「時家という人が北条の介の娘に嫁いだ」とあります。
時家の孫が時政と言われています。
京都の貴族社会に人脈がある、それを生かして政権を握ります。
時政は都との太いパイプを生かして高い官位を一族にもたらしました。
そんな時政、とんでもない行動に出ます。
平賀朝雅を将軍にしようとしました。
平賀朝雅は、時政の娘婿で朝廷との交渉を任されていました。
実朝は時政の孫、なぜすげ替える必要があったのでしょうか?
合議制では時政の思い通りになりませんでした。
義時は時政に立ち向かいます。
吾妻鏡には現実では起こり得ない話が書かれていました。
「時政から将軍・実朝を奪還」(吾妻鏡)
その時に、三浦義村が参加します。
義時だけでなく御家人たちも許せませんでした。
その後、時政は失脚、義時を中心に御家人たちが進めていきます。

■スタジオで

山本みなみさん
「平賀朝雅を将軍にするという一線を越えることが許せなかった」
父を追放したあと、義時は信頼を得ていきました。
佐藤所長「承久の乱で久しぶりに正義が重なりましたね」
山本耕史さん「僕らが実際にやっているのが事実というおかしな感覚になります」
「必ず、三浦義村が深く関わってくるので、台本の出番が多くなってきます」

ーーーおわりーーー

次回は「岡本太郎と太陽の塔」7月27日(水)放送です。

■感想

ドラマとは違い、歴史探偵では曽我兄弟事件や頼家暗殺は、時政黒幕説でしたか。
ドラマでは、頼家の事件で時政がどう絡むのか、楽しみです。
まあ、歴史家の人も、いろいろな説があるといっていたように、事実はわかりませんね。
時政失脚にいたる話しは、大河ドラマだと、後妻・りくの動きを絡めて描かれそうですね。
そして、三浦義村は今後、もう少し表舞台に登場しそうな雰囲気でした。
出る杭は打たれるという戦略で生き残ったということが、わかって面白かったです。

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