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ブラタモリ #219「対馬〜日本史最前線!国境の島が果たした役割とは?〜」後編を視聴しました

2022年10月22日(土)19時30分~20時14分、ブラタモリ「対馬〜日本史最前線!国境の島が果たした役割とは?〜」後編を視聴しました。

<始まる前に>
今回は前回、対馬の続き。
元寇と秀吉の話が出てきそうで、楽しみです。

<NHKのあらすじ>
「ブラタモリ#219」は前回に続いて長崎県・対馬。
「日本史最前線!国境の島が果たした役割とは?」いよいよクライマックス!
▽激レア!対馬ならではの“石”で作った屋根
▽蒙古襲来!対馬を襲った絶体絶命のピンチ…リーダー宗氏が見た壮絶な光景を体感!
▽交易に生きる島が朝鮮出兵で万事休す!
▽宗氏最後の奇策は国書偽造!イチかバチかの大胆な行動が対馬を救う!?
▽朝鮮通信使も目をみはった宗氏の“白い石作戦”とは?

■プロローグ
タモリさん一行、佐須という、島の南西地区に来ています。
・西護さん(対馬観光物産協会)
「佐須地域は歴史的大事件が起こった場所です」

■対馬ならではの独特な風景とは?

石葺の屋根、石屋根倉庫があります。
タモさん「これは重いよ」
野口アナ「ミルフィーユ、堆積岩」
・桐谷政実さん
「瓦が貴重品でここは風が強く重いほどよいのです」
いよいよ本題へ
■歴史的大事件の舞台へ!
小茂田浜です。
ここが鎌倉時代の有名な歴史的大事件の舞台です。
タモリさん「いわゆる文永・弘安の役ですか」

■「元寇」の舞台へ!

モンゴル人が最初に来襲したのがここ小茂田浜だったのです。
・村瀬達郎さん(対馬市教育委員会)
当時の様子と記した資料があります。
3万人がやってきた。
タモさん「何しにやってきたのか尋ねたんだ」
「詳細を尋ねたところでね・・・言ってる場合じゃないよね」
宗資国(助国)の銅像です。
戦いの時は60歳を超えていたそうです。
宗資国は、80余騎を従えて府中から佐須に討って出て「ひじきだん」に陣を備えた、とあります。
「ひじきだん」一緒に探したいとおもいます。

■「ひじきだん」を探せ!
タモさん「だんというのは?」
対馬では、山の先、徐々に緩やかになったところを「段」といいます。

■いざ「ひじきだん」へ!
タモリさん「石材はここで採れるんですね。神社がありますね」
宗資国が観たであろう景色を体感してみます。
神社がある高台を登ってみましょう。
宗資国は、450艘、3万もの大軍を見たんですね。
タモリさん「とにかく逃げよう」
「そうして出した結論がとにかく聞いてこいになったわけだ」
やあやあ、われこそは、で通じるわけがない。
タモさん「中国語で、ヤオヤオ」

■「元寇」の舞台を体感!
宗資国たち部隊は皆討ち死にしたと伝えられています。
しかし、宗資国の子孫である宗氏は600年も対馬を治める存在になりました。

■厳原にやってきた!

対馬の中心地、市役所がある場所、厳原にやってきた!
国境の島らしくハングルも見られます。
野口アナ「韓流ドラマが好きでハングル勉強しました」
安土桃山時代に起きた対馬のピンチは
タモさん「朝鮮出兵と対馬の関係あまり知りませんね」

■安土桃山時代の大ピンチ
タモさん「初めて街なかに入ってきた、門ですね」
朝鮮出兵と関係あるのは、実はあちらの山になります。
清水山城といい、豊臣秀吉の時代の山城です。
秀吉がなぜここに城を築かせた理由がわかります。
三ノ丸からの眺め、厳原の港の出入りが一望できるのです。
村瀬さんが三ノ丸にいます。

■さらなるピンチが!どうする宗氏!?
タモさん「交易ができなくなってくるんだ」
朝鮮出兵以降、国交は断絶、どうやって切り抜けたんでしょうか?
・尾上博一さん(対馬博物館)
交易ができなくなりました。タモリさんならどんな策を設けますか?
タモさん「一席設けようと、友好関係をつくらなければいけませんよね」
宗義智は、国交回復を目指し、朝鮮と交渉を重ねます。
挑戦側が国書を日本から先に送ることという条件を出してきました。
自分がやったことではないと徳川家康は拒否します。
タモさん「国書が必要ですが、なんとか有耶無耶にできないか、と考えますよね」

■歴史を動かした宗氏の国書偽造!

実は、宗氏は、日本側の国書を勝手に作ってしまいました。
タモさん「公文書偽造というやつですね」
「奉復」が「奉書」になっています。
宗氏は朝鮮側の国書も書き換えてしまいます。
家老が幕府に内部告発してしまいますが、家光は宗氏にお咎めなしでした。
徳川にとって宗氏はいなくなっては困る存在でした。
朝鮮との交易を復活させ大ピンチを乗り越えました。
江戸時代たびたび使節団がやってきます、この使節なんというかご存知ですか?
タモさん「朝鮮通信使」
絵巻の長さは50mを超えます。
全体で2000人を超え、12回必ず立ち寄るのが厳原の城下町でした。
城下町厳原の街並みに重要な役割がありました。

■城下町が果たした役割とは
1670年に原型ができたといわています。
石塀がたくさんあります。
当時の武家屋敷の地図にある平田の屋敷が今いるところになります。
「氏江」の屋敷、家老を務めていた家の屋敷です。

■厳原の城下町のヒミツとは?

タモさん「クランクになっている」
裏側にも石塀が残っています。
ではこの街並みを見た朝鮮通信使、どう思ったでしょうか?
タモさん「りっぱな街とおもったんでしょうね」
・左右の民家が壮麗
・家が美しく贅沢だ
・奉行たちの家が贅沢で大きい
実はこれこそ宗氏の街作りの大きなねらいだったんではないかと思われます。
タモさん「厳原は日本の顔のような役目ですね」

■華麗だった特別な理由

城下町が絶賛されるもうひとつの特別な理由があります。
ヒントはこちらの和菓子屋さんになります。
・渡邉圭二さん
タモさん「石切り場ですね」
石を割った跡、「矢穴」です。
タモさん「原材料がこんな近くにあったんですね」
「石英斑岩」
堆積岩の中で、デイサイト、石英斑岩であることがわかります。
石の見た目にこそ、この街が絶賛された理由がわかります。
タモさん「だいたい白い石ですね、できたときは白くきれい、かっこいい」
実際割ってみると白い、「真っ白な美しい石塀だった!?」

■タモリさん対馬に何を思う
「イメージが変わりました。穴子がうまいとか言ってましたけど、大変な島でした」

-----つづく-----

次回は2022年10月29日(土)「登別温泉〜なぜ登別温泉は“いい湯だな”?〜」です。

■感想

宗氏の国書偽造の話がでるとは思いませんでした。
結構、地味なんだけど、取り上げるとは意外でした。
秀吉の朝鮮出兵はあくまでも明の支配、貿易がメインであり、朝鮮は通り道。
秀吉が亡くなっていなければ、明はどうなっていたんでしょうね。
そして、朝鮮通信使も日本への朝貢であり、最後は迷惑なので来なくていいとなり終了しました。
もちろん、テレビではそんな事言いませんが。。。
あと、NHKアナの「韓流ドラマでハングル覚えた」のくだりは不要ですね。
ドラマみたくらいで読めるんでしょうかね。
サブリミナルぶち込んできて、汚鮮されてるんでしょう。
対馬市も他人事じゃないでしょう、焼肉屋とかできているのを見ると、土地があっち系に買われているようで、大変危険です。

豊臣秀吉の朝鮮出兵・文禄・慶長の役


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