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ゲリラ詩

もの思いその夜の夢に現れて
いいようもなき風景となる

蛭子能収氏の心のうちに分け入ってみよう


飄々。バス旅で太川陽介と蛭子能収はマドンナを迎え日本各地を巡り歩く。蛭子とは捨てられ流離ったヱビス神であり、もともと“ヒミコ”の男性名称“ヒルコ”にほかならない。持統天皇による世界的にも一般的な男性太陽神“アマテル=天照”の女性化“アマテラス=天照”化が行われ、男性太陽神アマテルは流竄の旅に出されたわけだ。原初の神そのものを追放して、祀りつかえる側の巫女王を神格化するという世界史にも例を見ない冷酷非道な霊的侵略が行われた痕跡が“流竄の神エビス神”神話なのだ。大和朝廷初期の侵略勢力によりその地の王国ともともとの太陽神アマテルが背乗りされ、従来の神そのものとシャーマン達が日本中をさまよった史実を秘めている。太川陽介はそのまま“太陽”であり、毎回迎えるマドンナとはおそらく、追放されさまようかつての太陽神を迎える、土地それぞれの女神=地母神という、神話構造に思える。そしてバス旅は今や国民的テレビ番組となっている。その蛭子能収神が認知症とのことだが、それは認知症ではなく、人間としての意識が薄らぎ本来の“流竄=流れ流されゆく喪われた太陽神”の末裔としての原・エビス顔を取り戻しつつあるということだ。今回の禍により世界一の超過平均死者数を出しつつ、無知に無惨に殺戮されてゆく日本人の深層意識の底からいよいよ神々が姿を現しつつあるのではないか。神々には言葉も表情もない。眼の奥に光さざめく水面があるだけだ。もう一度繰り返される旅。


ゲリラ的人生

■画像はヤフー、場末画像、放浪画像、シュール画像、蛭子能収画像より。

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