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本とその不確かな表紙3.

村上春樹世界が初作品からずっと戦前からの影を帯びていたことを今は感じる。ある時は邪悪な羊といった伝奇的シンボル、ある時はそのものが悪の表象にほかならないサイコパス的キャラクター、そしてついに1Q84の教団と異次元の小人など。常に時代意識としての大衆の無意識からの漂流物を拾い上げながら、作家自身が家族的無意識としての戦前戦中戦後、あまりにも壮大な民族的死(三百万人)と民族的狂奔(全共闘などのうねり)を経た無気力な自分自身達の時代に至るまで。そしてそのララバイは日本だけでなく世界中の壮大な死と津波のような生老病に今も共鳴している。初期の『風の歌を聴け』の時代にはまだ蒼々としていた私たちの感性が、今はどの時代座標とシンクロしているのか。私にはまさに今は戦時中そのものと思われる。街も建物も国もそのままだが、全世界で、日本中のいたる所で、人々の血管、内臓、脳そして免疫系、遺伝子の中で、焼夷弾やクラスター爆弾が炸裂しているではないか。サイレンが空襲警報。雨あられのように降りそそぐ不自然な死の由来を、おそらく死んでから後も認知できない、さまよえる人霊達と空虚な街。村上春樹氏が共有される無意識の底、時代の船底、壁の向こうから持ち帰った今回の量子的物語の主成分は“魂の死”ではないかと、未読の私には思われる。少なくとも魂が殺戮されている時代にこの本は生まれてきた。

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