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精神的スラム化と霊的スラム化が進んでゆく

時に岡山、倉敷へと出かける行き帰りでのこと。山陽本線の昼間の主な乗客は学生たちだ。岡山周辺部から岡山倉敷地区に通学する学生たちには二種類ある。いわゆる市内の有名高校に通う越境入学5%組と、そうではない組だ。彼らのまとう空気が彼らの未来を悲しくも明示している。そうではない組の学生達のまとう空気はすでに堕落腐敗している。話し言葉そのものが違っており、家庭環境をそのまま出している。彼らが乗車するとチクチクする空間ができる。一般乗客もまた彼らの“嘲りゲーム、イジメ遊び”の対象なのだ。一種独特の緊張感が漂う。しかし沿線のある駅から、国内有数の優秀な私立高校生達が数十名から百名くらい乗って来ると、そうではない組の男女達は一気に沈む。うつむき黙り込み行き場のない視線を一斉にゲームに向ける。家庭の経済力、親の社会的地位、卒業後の行き先などのどうしようもない差が襲うのだ。かつての発展途上国はもはや日本よりも上の順位であり、富裕層も激増している。しかも日本で一生懸命働く海外の若者たちは、実は国の家族親族のために仕送りを続ける立派な人間達なのだ。人格、生きる意思からして、そうではない組とは次元が違う。日々、そうではない組のまとう空気に疲れ、有名私立高校の学生達の活力あふれる空気に活性化される。人格、礼儀作法、マナー、活力などすべてが家庭の力により育まれる。脱力してグレ始める若者たちは、そのまま脱力した家庭の生み出す、スラム化する地域の象徴なのだ。【そして恐ろしいことにスラム化には精神的スラム化と霊的スラム化もまたあるのだ】。非常に嫌味な話をするようだが、これは正真正銘の、今ここにある現実なのだ。日本はもう一度、教育から再建しなければならない。ドリームとヴィジョンの資源はまだ世界一だから。世界的なアニメや音楽のクリエイターを教育委員会に迎えるくらいのことをやったほうがいい。

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