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走りながら思想しよう 27.

多分3年ぶりくらいの京都。駅は相変わらず雑多感がハンパない。いつもながら多彩な外国人達でごった返している。だがコロナ前のような中国人の影は薄いと感じたが、それは旅行者で、中国富裕層に深い人脈を持つ友人によると、京都ヘの中国資本の流入はもはや洪水の域を超えて内海化しているらしい。京都の市民の方々の高齢化と生活苦感が少し増している。市バスで上京区に向かう途中の南北の通り沿いの商店が疲弊し、東西の小路の店舗はしっかり店の精力が感じられた。京都の本来の市民商店が、深い眠りのなかにおちこんでしまっているように感じられた。京都市役所の交差点では、昼間から女装した白人男娼?!の二人連れが情報交換しているようだ。川崎市にそのような外人男娼が増加中とはヤフーでみたが、京都もそうなのか? 単なる観光客や日本文化好きだけではない、何か別の層流がやって来ているのかもしれない。
料亭では二階のオーナーの休憩用の部屋に通された。千年の歴史ある神社の杜に面してオーナーが手を加える盆栽松が張り出し窓に置かれオーナーは手入れをしながら、気軽に話してくれた。発酵肉の件に関しては和食を世界的にしたミシュラン仲間の料亭オーナーが始めた食関連の集まりに話を通してくれるとの事。熟成に熟成を重ね発酵肉の域に達すると非常な美味となる為、ワインのような発酵肉熟成ブランドの年代物となるので、備蓄用途と同時に資産価値を生むという、T調理師専門学校の担当部長のコメントもオーナーに伝えた。肉の産地からの熟成肉をミシュラン料亭に集めて料亭ブランドごとに熟成肉の漬け込みと発酵プロセスを競う“蔵肉ブランド”のような。オーナーが接待と料理指示に追われる間、私は部屋で一人、流れ込んでくる神社の杜の千年エネルギーを味わいながら、超一流料亭の原理がわかったような気がした。神社の気と床の間の如来の掛け軸が神仏習合の気をもたらし、その時間と空間の中で、料理人と接待者が丹精を込めることで、その料亭の高められた気が生まれ、客を魅了し活性化するのだ。単なる生物的味覚の追求だけでは道にはなりえないのだ。ゆったりと茶を頂きながら神社の杜の空気はごく普通の初冬の空気で紅葉した木々の葉も自然そのものだが、その空気の上澄みの中で料理にしろ伝統工芸にしろ信仰、行にしろ生きることそのものにせよ、たゆまず丹精込めて精励することが、京都の住人たる必須条件なのだろう。気が凝り時間と意識と生存そのものが水晶となる。そのことに気づかない旅行者は光を観る者とは言えない。オーナーは気をきかせてくれ、一階の別室にも通してくれた。その部屋には静かな面持ちの仙人像と大黒様の掛け軸があり、私はオーナーに神仏仙の気を日々刻々の丹精により料理と接待に込めているのではと話すと、ええことを言ってくれるねとまんざらでもないようだった。

気こそ命ぞたゆまず丹精込めよ

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