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『暁に還る』2.

“たそがれに還る  光瀬龍
 序章

人類は、その宇宙に於ける発展の歴史の中で、三つの大きな事件に遭遇した。そのいずれもが、二千年におよぶ宇宙文明の栄光と未来に対する無限の可能性をいっきょに崩壊せしめるかのような強い影響を歴史の上に及ぼしたのであった。
すなわち二千年代後半に於ける地球文明の経済的破綻が、宇宙植民地の経営に与えた破滅的荒廃と、それにつづくあのいつ果てるともなく続いた泥沼のような統合戦争。その深刻な疲弊は当然の帰結として宇宙開発機構の一元化を生み出した。それはまことに栄光と破滅の微妙なバランスの上に成り立った息づまるような緊張の時期であった。
ここまでを最初の危機と考えてよいだろう。
そしてつぎに、三千年代前半にようやく絶望的な様相を示しはじめた人類とサイボーグの間の、あのいわれのない、それ故にこそ解決の方策も見出すに難しかった深刻な対立の時代がくる。それは人類が長い長い間ほしいままにしてきた指導者の座を、はじめはゆっくりと、最後には急速にすべり落ちていった傷ましい荒涼たる時期といえる。
そして第三に、三千年代も終わりに近く、全く突然に人類の前に提示されたあの一連の奇妙な事件がある。(註一)
これは一千年の歳月をへた今日、なお資料整理の段階にあり、歴史に徴した論議は時期未だしの感がある。
前二者については、これまでにこころみられた解釈は何千という数におよび、現在ではほとんど研究しつくされた如くである。
しかし、この最後のものについては、賢明な歴史学者たちは敢えて言及することを避ける傾向がある。これは当時、例の三八一六・全星域特別条例B(註二)にもとづく非公開資料としてすべて、その記録は封鎖されたまま放置されたことに起因する。
しかし、その制約も今はない。われわれには論議の広範なる自由が与えられ、しかもその必要は今日的課題を以てわれわれに迫っているといえよう。
さらに言うならば、この最後の問題に関しては、あるいは、人類の発展に於いて必然的に遭遇する本質的課題ではないのかもしれない。限りなく宇宙に前進してゆこうとする人類の前に、不測に設けられていた一つの陥穽だったのかもしれない。
これが人類の運命に、いかなる力をおよぼしてゆくかは実に今後の問題なのだ。それ故にこそ、この第三の事件は前ニ者に比すべくもない不幸と挫折の翳をおびているとさえいえる。
『三千年の歳月はかくて過ぎ去り、人類は三回にわたってその体力をおびただしく消耗し、今日に至るもついにそれを回復しえなかった。』
とするアム・コダイの説には聞くべきものがある。
今こそ、喪われようとする資料を、われわれはあらゆる方法をもってひきもどし、復元しなければならないのだ。そこからたとえ何が現れてこようとも

ユイ・アフテングリ著
星間文明史 第七巻
第五章 特徴的文明より”
参照:『たそがれに還る』光瀬龍


この昭和を代表するSF作家の草分けの一人、光瀬龍の年代記は、私の教科書になっている。光瀬龍が予測構築したような世界にはならなかったが、私の人生が滅亡考古学という私が唱える分野の孤独な作業に占有される年月のなかで、彼の大胆な宇宙叙事詩のロマンを少しでも取り入れた調査報告書を仕上げたいからだ。

n国滅亡後数年を経て、世界中の海から発射されたSLBMが、全大陸上空で爆発した電磁照射が一瞬にして人類から一切のコンピュータ情報を消去した、あの日以来、私たちはいきなり原始的な食糧調達すなわち、野生動物の狩猟生活に逆戻りしなければならなかった。数百年にわたって消えない地表地下と大気中の電磁嵐の中で、すべての技術、工場、産業が復興不可能であり、全く別の形での文明社会構築の最前線に立ったのは老若男女の科学技術者達と勇気ある一般市民達だった。ごく少ないが、大消滅のときに深い海中にいた潜水艦群が失われた司令部から独立して、一種の独立部隊として、世界各地の残留文明間ネットワークに立ち上がるのには、まず潜水艦同士の協働条約締結が必要だった。艦長たちにはもはや無駄な戦争を遂行する意思は自然に失せていた。貴重な艦の潤沢な電力を通信に集中して、他艦や生き残った地域との連携にすべてを費やした。

画像はナショナルジオグラフィックより。


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