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野性のエンジン3. “岡山県霞ヶ関村構想”

2009 年に帰郷して以来、東京ラストシーズンにつちかった農業再生活動に拍車がかかり、私はロビン・フッド・アグリのプランニングとコーディネートにのめりこんだ。法務省勉強会、防衛省陸上幕僚監部・自衛隊援護協会&農水省マッチング、ミシュラン料理人&オーガニック産品マッチング、AI農業&オーガニック農業マッチングなどなど。このプロセスで、大学・研究機関によるエビデンスが充実している事と生産者グループが全国にいる事を条件にオーガニック農法グループをネットワークしたが、有力な福岡の酵素農法資材メーカーが刑務所農業への参加を辞退したため、急遽、法務省勉強会に間に合わせる為、海藻農法グループへのアプローチを開始した。鳥取県と地元津山に海藻資材メーカーがあり、距離的に津山の農業NPO創設者との連携が深まった。発酵肉作戦のK.M教授もその方のご縁だった。若い頃、アメリカに農業修行に行き、帰国後、バイオ企業で開発畑に入り、脱サラ後は、自ら海藻資材を開発、NPOで生産者に普及するツワモノだった。約10年間、私のすべての活動に参加頂き、お互い、○○のレジスタンス、○○パルチザンとジョークも通じる仲となった。自宅にはなんと伊勢神宮と出雲大社、猿田彦大神様の神棚のある一風変わった地域名士だった。また令和に入ってから新しい人脈として、県内のC学園大学の副学長にお時間を頂けるようになった。化粧品大手企業の英国支社長、本社開発部長など歴任された方で、県内のS短期大学からスカウトされ、副学長に就任され、なんとあろうことか、かのハプスブルク家当代(ニューヨーク)を招聘、特任教授として迎えるという偉業を10年前に成されていた。以後今度はその凄まじい手腕を買われてC学園大学副学長に就任された。私は図書館で副学長の山田方谷に関する著書を見てアプローチ、気軽に会って頂けた。私はその頃、東京で農水省OBの方々による組織とご縁があり、岡山県に農水省OBサロンのような組織を構想していた。ほとんどのOBは、首都圏に居住されているようだが、少なからず各地域にも帰郷されており、その全国ネットワークの経験、人脈、識見、VISIONを県内に迎えることで、人的な地方創生基盤を構築可能と思ったので、副学長に話したところ、賛同頂くことができた。
■同大学による産官学民連携プロジェクトとして、東京の農水省OB組織の岡山支部を立ち上げる。または
■いくつかの市町村による連合体でサロン事務局を市役所内で巡回させつつダイレクトな地方創生モデルを構築する。
いずれも最初は事務局を設け大学職員または市役所職員を常駐させつつ、メンバーの交通費、文字通り、お茶代を出す方式。県内の首長、議員、自治体職員、大学教授、企業経営者、生産者、学生などが気軽に話せる場をイメージした。
このような小さな経費で可能かつ、他の省庁OBのサロンもという野望(野暮?)がふつふつと野性のエンジンを駆動していた。岡山に“霞ヶ関村”を造る?!
大学産官学民連携派が副学長。市町村連合派がNPO代表の同志という構図。例によってポンチ絵を書き、せっせと勉強会を開始したのだが😵‍💫。


なんという美しいフォルム!

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