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量子精神学の挑戦 エレクトロマグネティック・シャーマン 【体内聖地防衛戦】14. 参照:●『キリスト元型ユングが見たイエスの生涯』エドワード・エディンジャー著 ●『シャーマン』ジョーン・ハリファクス著 《パウロ、ペテロは高度な審神者の可能性》

✞『キリスト元型』✠                                   “最後の晩餐                                            〔…イエスはパンを取り、祝福してこれを裂き、弟子たちに与えて言われた「取って食べよ、これは私の身体である」。また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「皆、この杯から飲め。これは罪の許しを得させるようにと、多くの人のために流す私の血、契約の血である」〕(マタイ26章)

〔私の肉を食べ、私の血を飲む者には永遠の命がある。〕(ヨハネ6章)

ユングはこの主題について大部のエッセーを書いている。

『…明らかなのは、キリストの犠牲と聖体拝領において、人間の心の最も深い琴線の一つに触れるということである。つまり、人間の犠牲と儀式の人類学に触れるのである。……国土と人民の繁栄のためになされる王の儀礼的殺害、そして〔王たる〕人間の犠牲によって成し遂げられる神々、復活と再生、そして参加者たちを祖先と再合一させることを目的とするトーテムの食事。…ミサの象徴がいかにして心とその歴史の深い層に染み込んでいるかを十分に示してくれるだろう。』

最後の晩餐は「晩餐会」元型あるいは聖なる食事の特殊な例であり、凝固の象徴体系というさらに大きな分類に属する。最後の晩餐の一番初めのものは、過ぎ越しの祭りの食事であり、過ぎ越しの祭りの象徴がその中に含まれている。キリストが、贖罪のための生贄として過ぎ越しの子羊に置き換わったのである。

キリストとディオニソスの神話の間には、驚くべき類似がある。ディオニソスは、ギリシアの神々の中では唯一人間の女性、セメレーから生まれた。ディオニソスは、母親をハーデスから救い、天に住まわせた。ディオニソスは、最初の生で、幼いときにティターン族に八つ裂きにされ、つまり「受難」を体験した。…「生肉の饗宴」において、ディオニソスは参拝者たちに、彼らが不死であることの証として自らの肉を食べるように提供している。その悲劇のドラマはディオニソスの密儀から派生してきたものであり、キリスト教が展開してきた「現世」における生の悲劇的な見方と類似している。

……キリストの肉を頂くということは、永遠のもの、個人をこえたものを食べるということである。ユングは次のように述べている。

「聖餐の秘儀は、部分的な存在にすぎない経験的な人間の魂を、全体性へと変容し、それが象徴的にはキリストで表されているのである。それゆえこのような意味において、ミサを個性化のプロセスの儀式であるという事ができる。」

キリストが弟子たちに「私の肉を食べ、私の血を飲む者には永遠の命がある」と言ったように、「生肉の饗宴」に参加することで、参拝者たちにバッコスが与えられる。それはつまり、ディオニソスの神格的な性質を授かることである。キリストあるいはディオニソスの肉はこのように「不死の食べ物」であり、それは賢者の石の別名である。心理学的には、これは、「永遠という視点で」物事を見ることを可能にする自己の意識を意味する。  

初期の図像学では、最後の晩餐は魚料理として描かれている。そこにはキリスト自身が魚であるとされた。この象徴は、最後の晩餐をユダヤの伝説の救世主の晩餐と結びつける。その伝説も魚料理で、海獣リヴァイアサンの肉が信心深い者に提供される。リヴァイアサンを食べることは、明らかに、原初的な心を意識的に同化することを指している。…魚は、冷血で強欲な性質の無意識的内容物を表している。大きな魚リヴァイアサンと同じく、それらは原初的な心(サイキ)の小型版で、意識的な理解による変容が必要である。……聖餐の秘儀の象徴の逆説的な性質が明らかになる。一方では「食べ物」は個人を超えた自己との結びつきを取り戻してくれる。他方、それは第一質料であり、自我の努力によって変容され人格化されねばならない。”    ■画像は(カトリーヌ・ド・クレーブの時祷書)  


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△『シャーマン』▲                                    “アメリカ南部サン・ファンに住むプエブロ族の一老人は、このプロセスを次のように語っている。

「私が話そうとすることは、教えにくいことだし理解しにくいことでもある…もし、もしも…あの〈深い峡谷〉の縁に立ったことがあり、無傷のままで戻ってこれた経験がないかぎりは。たぶんすべては、お前自身のなかにいる何者か次第なのだよ――〈水蛇〉か聖なる〈ヤグルマソウ〉を見ようとしたかどうか、死に会うためか〈生命捜し〉のために外へ出かけたかどうか。それはこんなようなものだ。大いなる〈雲の存在者〉の領域にとどまるかぎり、もちろんお前は〈深い峡谷〉のいちばん縁まで歩いていけるだろうし、無傷のままでいられることだろう。虹と大いなる〈存在者〉に守られることだろう。なにも悩む理由はないし、悲しむべき理由もないだろう。魔女たちと戦うことになるだろうが、おののくことのない心をもって魔女たちと向かい合うことができれば、この戦いはお前をずっと強くするだろう。この戦いは、人生における目標を達成する助けとなるだろう。他者を救い出し、愛され好かれ、人生を探求するための強さをお前に与えることだろう。” ■画像は渦巻く暗雲、ナショナルジオグラフィックより。

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■画像は、ルーマニアで撮影されたプロミネンス現象、ナショナルジオグラフィックより。                                                    😵電磁シャーマン🤔ユングの解釈により、イエスもまた、ユダヤ教の預言者=シャーマン伝統に接続され、救世主化したことがよくわかる。イエスとディオニソスの強い相似は、量子力学的にはフラクタル現象だが、同時に、ユダヤ教歴代のシャーマンによる“神話化”の賜物でもある。またパウロやペテロは、高度な審神者とも言える。また同じように、シャーマンが降ろした聖言の伝承から霊性が失われ、霊的象徴がとんでもない脱線事故を起こした事例として、聖餐が悪魔崇拝の生贄儀式化したり、仏教のタントラ瞑想ヨーガが後世、左道密教化したり。          聖書の預言者、神に関する記述を、思い切りシンプルな説話化すると(如何なる地上の権威、利権にも増幅されていない霊視者、見神者の視点化)、何らシャーマンと異なる次元のものではないと思われる。地上のよけいな構造物、組織体を貫通する、清流の溝を始原から引き直すことにより、新たな血流、霊性が必ずや、数十億を超えるユダヤ・キリスト教圏の人々の、内なる暗雲から地上に降り注ぐだろう。激しい雷鳴を伴うが。


                      

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