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長野五輪の思い出②

①のつづきから


画像は長野五輪のマスコット
スノーレッツ
森のフクロウ達である


自分が陣取ったスタンド席は

ジャンプ台を斜めから見る形となり
遠目で見るので
かえってTVより
どれだけ選手の距離が出たか分かりやすく
入り込むことができた


ジャンプは距離+飛型点(ジャンプの姿勢)決まり
順番はランキングの低い選手から飛ぶことになっている


ふとジャンプ台の下
着地の距離を測るラインが
135メートルまでしかないことに気付いた


これ以上飛んたらどうすんんだろうか?


原田とか1回目ダメで
2回目やっちゃそうだね


そんな会話を
Z会の彼と冗談を話していた


しかし、これが現実になるとは
知る由もなかった


日本選手のトップバッターは岡部

大ジャンプ❗❗❗

さすが

1回目全員終了時点で2位につけた

イケる、イケるぞ👍

2番目は斉藤
距離が全く伸びない
これでは2回目に進めない

斉藤の表彰台はなくなってしまった😔


そして問題の原田

彼ののジャンプは飛ぶ瞬間に高く上がるので
風の影響を受けやすく
結果が出る時とそうでない時の差が激しかった

数日前のノーマルヒルでも1回目は良かったが
2回目は失速した

4年前のリレハンメル五輪団体
2位ドイツと大差でアンカーは原田だったが
まさかの失速・・・
銀メダルとなり涙した
世間は『原田のせい』と非難した

プレッシャーに弱いというレッテルをはられた

でも、そういう選手ほど応援したくなる
さあ行くんだ

飛べ

ん❗❓体がブレたか

なんとかこらえてそれなりの距離を出したが
1回目全員終了時点6位😑
メダル狙うギリギリラインだろう


最終選手は大本命 若きエース船木
彼は原田とは対照的に
低い位置からグーンの伸びる
安定感があったし
飛型点が良かった
なにせ今期は絶好調


飛べ、飛べフナキ❗
そこそこの距離😀
1回目終了4位


首位から点数の差はあまりなく
充分金を狙える位置につけた


いつものことか分からないが
この会場にはDJがいて場内を盛り上げていた🎤


K点を越えたときと越えない時では
曲も違っていた🎵


2回目スタート
今度は1回目の得点の降順となる


なので原田から
メダルを取るには大ジャンプしかいない
1回目が悪い方が
プレッシャーなく
思いっきりいけるのではないか?

周りの人との会話で
『個人でメダルを取られてあげたいよね』

会場にいる日本人は同じ想いだった
4年前を非難する人なんてここにはいない


スタート台に座る
コーチの旗が上がり
スロープを加速してゆく
風向きもいい


『お願い・・・』


飛んだ
は原田らしい高い踏切り
今度は高いぞ💥


会場は大ジャンプと確信し
『ウオーッ』という大歓声


どんどん距離が伸びる
いつになったら落ちるのか


まだ落ちない
もしや135メートルラインを超えるのか❓

あまりにも飛び過ぎると
着地するバーンがフラットになって危険☢


無事にランディングできるのか?


場内の歓声はさらに大きくなり
まさかの135メートルラインを越えたっ❗❗❗


テレマークが入らなかったけど
なんとか無事ランディング🎉
(テレマークが入らないと飛型点が落ちる)
やったぜ原田😊😊😊
信じられない大ジャンプ


場内はどよめき騒然、大歓声🎊


当然、得点が自動で出ない
審判団の目視になるのだろうか


得点が出ないまま次の選手が飛ぶが
まだ、場内騒然
しかし、冗談で言ってたのが現実になるとは・・・


計測不能ジャンプ
原田らしくていいではないか
仮にメダルは取れずとも記憶に残る


家に帰って録画を見たら
実況の和田アナウンサーが


原田因縁の2本目

立て立て立て立ってくれー

立ったー


と言っていた
同じ気持ちだったんだね


そして、船木の番
集中しなきゃ
すかさずDJが

『会場のみんながウエーブしてくれなかったから

 1回目なかなか飛べなかったじゃないですか

 船木選手が文句言ってましたよ

 ウエーブしましょう』と煽る煽る

会場は大ウエーブ(90年代はウエーブが流行ってた)

もしかしたら、1回目の2回目のインターバルだったかもしれない
記憶がごちゃごちゃ😅

コーチの旗が上がり
船木がスタート台の手を放す
踏切地点まで加速する

綺麗な飛び出し
距離がどんどん伸びる

場内は大歓声
その飛んでいる姿は微動だにしない
なんて美しいのだ✨
まるで鳥のようだった
130mを越えた

着地完璧🥰
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
大ジャンプ❗❗❗

なんと審判団全員が飛型点20点満点🤩
まさに鳥人だっ


この時点で当然首位✨
残すはあと3人
その内1人は岡部
つまり日本人メダルが確定したのだ\(^_^)/


ライバル選手は次々失速
ソイネンもあまり伸びてこない😝


さあ、岡部
日の丸3つあるのかも❗
行けーーーーーーー
しかし距離が出ない・・・
残念😢


1回目首位のビトヘルツ
距離が出ない😝
全員終了


船木の金メダルが確定❗❔
いや原田がどれだけ飛んだか分からない


他国の選手の失敗を喜んではいけないが
会場は大歓喜😊


しかし、原田の名前が未だに電光掲示版に出てこない
船木より上もあるのか?


いやあ、1本目悪かったからねえ・・・
とみんなでガヤガヤ


まだ発表がない
会場は
ハラダコール


何分たったろうか
場内放送が流れる
選手、コーチ、スタッフ、観客全員が
固唾をのんで電光掲示版を見守る


出たっ


原田はどこだ?

そこには・・・


3 HARADA


記録は136m
バッケンレコード
この白馬ジャンプ台の記録だった


やった船木が金🥇
原田が銅だ🥉
表彰台に2人日本人なんて・・・


会場は狂喜乱舞の大興奮
自分らも知らないオッサンと泣きながら
抱き合った😭


表彰式ではメダル授与はなく

フラワープレゼントとなった

DJが
『船木選手、原田選手ありがとー🎤』
で締めくくった


このラージヒルでの躍進が
数日後のあの感動の団体戦に繋がった


ぶん投げたカメラバックと
国旗はちゃんと残っていた


実際のメダル表彰は長野市まで移動して行われた🚌
カメラも無事だったこともあり
折角なので自分はその表彰式も出で写真を撮った📷


Z会の彼とは白馬で連絡先を交換して別れた
後日、表彰式の写真を送ったが会うことはなかった


一期一会・・・


まさにこの言葉がぴったりだ

実はその後家族と
スキー複合の団体も見に行った


日本はメダルを取れなかったが
そこでは富山からきたかわいい女の子
と仲良く1時間以上かけて


雪を整地して見やすいように足場を整えた
何故か連絡先は交換しなかった


私のした


ダフ屋から買うこと


は決して褒められたことではないし

今の時代だったら、記名式となり不可能であろう

でも、人間どうしても欲しいものがあったら

他人に迷惑をかけない範囲なら

どんな手でも使うのではないのか

若さゆえできたかもしれない


アナログの時代だからこそ

いろんな人との出会いがあった

助けられた

一生の思い出ができた


原田の計測不能ジャンプ

船木の美しすぎるジャンプ

忘れることはないだろう


あれから四半世紀がたった

Z会の彼元気かな?

富山の子元気かな?


日本選手団はもちろん

白馬で出会った全ての人に感謝したい✨


数年前、白馬に宿泊した時

宿には長野五輪ジャンプの写真が展示してあった


あの時の高揚感が蘇ってくる

息子に『パパ若い時これ見たんだよ』と説明した

この人は測れないほど飛んじゃって

この人はめっちゃ綺麗なジャンプで世界一になって・・・



また、日本で冬季五輪が開催されたら

まだ新しいパートナーか

息子と見たい


今度は札幌かな

その時オリンピアという

臨時寝台特急が上野―札幌間を

走ってることを夢みて・・・

おわり

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