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19歳の世界挑戦。

8月14日の朝に突如飛び込んできた佐野航大のオランダ1部リーグへの完全移籍報道。

13日の(A)大宮戦のメンバーに入っていなかったので何となく嫌な予感はしていましたが、その欠場が移籍を意味するものだったというのを知らされた驚きの朝でした。

そんな感じで今回は佐野航大のオランダ1部移籍について書いていこうと思います。

今回もぜひ最後までお付き合いください。

1.個人昇格は時間の問題だった

米子北高からプロに入って約1年半。
岡山での佐野の成長ぶりを目の前で見て来た人の中には「J2→海外もあり得るレベル」と称する者も少なからず居た。

自分もその中の1人でした。
今年のオフでJ1に移籍して長くて2・3年はプレーしてからの海外移籍が1番有力だと思っていましたが、J2→海外への大出世コースもあってもおかしくないとは思っていました。

まさか、本当にそれを実現させるとは。
恐るべし、佐野航大。

仮に今年、ファジアーノ岡山のJ1昇格が無理でも冬にはJ1もしくは海外への移籍はほぼ100%だと思っていたので、個人的には「まぁ予想より早かったな。いずれこうなるのは覚悟出来てた。」というのが率直な今の感想です。

「J2にいるべき選手じゃない」
「更に上のカテゴリーで戦うべき選手」

こう思うサポーターさんも多かったはずです。

本当に「何でJ2におるん?」っていうくらい巧くて、ズル賢くて、強くてって選手でした。

2.兄を追いかけ続けてきた19年

佐野航大は2003年生まれの19歳。
9月に誕生日を迎え20歳になる選手です。

故郷は岡山県北部最大の都市、津山市。

小・中学校時代は岡山県北では強豪として有名な

FCヴィパルテでプレー。

この頃から同年代の選手の中ではズバ抜けており、高校は兄の佐野海舟(鹿島アントラーズ)が通っていた鳥取の名門、米子北高校へ進学。

米子北高校では1年生の頃から背番号10を背負い、3年連続で選手権に出場した。
2021年には青森山田高校に決勝で敗れ、準優勝となったが大会優秀選手に選出された。

2021年秋にはファジアーノ岡山へ入団が内定。
2019年に町田へプロ入りした兄を追う形で本人もJリーグでのプロキャリアをスタートさせた。

2022年はシーズン途中からレギュラーに定着。

憧れだったプロの舞台での兄弟対決も実現させて
U-19日本代表にも選出され、J2で28試合3G。

2023年はU-20W杯にも出場し、世代別での世界最大の舞台を味わって更に成長を果たした。

今シーズンのJ2での成績は20試合2G。
お兄ちゃんが大好きな弟くんはプロ入りまで同じチームでプレーをして常に背中を追いかけ続け、プロで追いつき、先にJ1へステップアップした兄を追い越す形で今回海外移籍を実現させた。

本当に近い将来、A代表で兄弟コンビのダブルボランチが見れる日が来るかもしれないと考えたらもう感動としか言いようがない。

大きい怪我も無く、才能が潰されることも無く、周りにも恵まれてここまで順風満帆にサッカーを続けてこれた航大は本当に幸せ者だと思います。

3.メンタルの強さを武器に

記憶にも新しい、U-20のW杯。
佐野がPKを外してしまい惜しくも日本は敗退。

ショックで頭を抱えたり泣いたりする選手が多いですが佐野航大は違いました。

『笑顔』

「PKを外して負けてるのにヘラヘラするな」と言った厳しい声も勿論ありました。

岡山の時から物怖じせず負けず嫌いな航大。
「こんなもんで泣いとれるか」と言わんばかりの笑顔で、僕もこのシーンを見て「こいつは本物だわ…」と度肝を抜かされました。

世界の大舞台でPKを外して…って考えたら普通はメンタルやられると思いますが、それを笑って過ごせるくらいの余裕があるという凄さ。

この強みを活かしここからどんだけ成長するか。
考えただけでもワクワクが止まらないですね。

4.とりあえず頑張って来い!!

最後はこれです。これに尽きます。

岡山生まれ、岡山育ちの生粋の岡山男児。
地元岡山でプロになって海外挑戦。

こんだけみんなに愛される選手今までおったか?
チーム的には抜けたら痛いのは当たり前ですが、それ以上に嬉しさのほうが大きい今回の移籍。

納得出来るまで海外でやって、やり切ったと思えた時にはまた岡山に帰って来てプレーして欲しいなと純粋に思います。

航大の選択が正解だったと思えるようにしっかりやり切って来い!!

1年半ありがとう。

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