しみくれ#10 感想(ネタバレ含む)

はじめに

まずしみくれさんの舞台を見るのは二回目。最初のはカレーライス殺人事件。吉岡茉祐さん目当てで見に行った舞台だった。その感想はとくに書いていないのだけど、実際にあった事件をベースにした舞台で当時その事件をニュースの中で見ていた自分にとっては、それを題材として扱うことが衝撃的でまたそのことがラストで明かされる手法に驚いていた。

また見たいと思いつつも、推しを応援する活動に忙しくなかなか休みがとれないスケジュールだったのだが、今回コロナの影響もあり、チケットも払い戻されたので高島平まで足を運ぶ流れと相成りました。「騙し」をコンセプトにしている劇団ということなので、今回はどんな風に騙されるんだろうと楽しみにしながら地下の劇場への階段を下りて行った

『共有』

まず気になったのは舞台前の音楽である。曲名は知らないけれど、耳に残っているのはおそらく以前の舞台で、この曲を聴いているからだ。舞台でこの手法をとることは多いのかどうかわからないが、そうすることで観客に、この舞台は「しみくれ」の舞台であることを伝えるのは効果的だなと思った。もちろん内容が印象的であることが前提だが、実際見てからしばらくあの音楽が耳に残って仕方がないのだ。

舞台が始まると早速、違和感が襲う。
噛み合わない会話。
以前の舞台もそうだった。会話が普通じゃないのだ。
それぞれがそれぞれの都合で会話をするので、会話が成り立っていないことが多い。
そして、その会話が回収されるのがのちの会話だったりする。
だから簡単に言えばわかりずらいのだけれど、これを面白いと思ってしまうと否定する気にもなれない。

話の軸は3つ
①主人公とその夫である作家の話
②主人公とルームシェアする3人の話
③主人公と兄、そして借金取りの話

そこが入り乱れることで、最終的には悲劇として出来上がる仕組みだった。

①はそもそも大前提であり、これが舞台の中で観客と演者で共有されることでこの話が理解されることになる。
②時間軸にすると現在。①の次にあって、同居する3人の彼女たちが悲劇の引き金を引くことになる。
③この舞台の仕掛け装置。


この舞台を見て思ったこと

人間関係はとても単純なバランスの上で成り立っていて、ちょっとしたことですぐ壊れる。妹視点で物語が再構成されると、多分もっと話が分かりやすくなってミステリーホラーっぽくなるのだと思う。それでは意味がないので今のままでいいのだけれど。

『手の中の品格』

正直、内容は何も書けない。
書いているとメンタルを損傷するから。
ただ思ったのは『共有』のなかで出てくる薬がちゃんとこの話で使われるのだけど、もし作家がこの薬を使ったとして絶対に幸せにはなれないと思った。
また、使わなくてよかったとも思った。

感想

人間の気持ち悪さが前面に出た舞台。
正直「騙し」というコンセプトのなかでは、
そこまで難しいシナリオではなかったと思う。
ただ直視が難しいシナリオだった。
彼が薬を飲む前から、ああだったのか
飲んでからああなったのかわからないが、
あのキャラクターは本当に嫌い。
生理的に無理だった。
それでもああいう人間がいるのはおそらく事実で
そういった人間が作るものを見て面白いと思う
人間がいるのも事実だろう。

社会を構成するために、人間が禁じていることの一つに
人間の尊厳を貶めないことがある。
でもそれは長い歴史の中で培われたものに過ぎなくて、
歴史上その行為を人間がしなかったわけではない。
いわば理性がそれをさせるのであって、
本能がそれを止めることは、行っていないのだ。

「騙し」がコンセプトだったのに、
なぜか「騙し」ていた自分の持つ本性のようなものを
暴かれたような作品だった。

ああ、もう、まだ白い腕が脳裏に焼き付いてる。
ホントやだ。お見事でした。
お粗末な感想ですみません。

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