正しい英語(や日本語、関西弁)と自分との距離

私は現在、英会話学習の目標は、とりあえず「洋画が字幕なしで楽しめるようになる」ということにしています。

洋画は、アメリカスタイルの英語が多いので、これが聞き取れるようになる必要があります。

中学から学校で習った英語は、イギリススタイルの英語だったのですが、それに比較すると、アメリカスタイルの英語を聞き取るのは難しいように感じられます。

ところで、現在やっているスカイプでの英会話レッスンでは、講師は90%以上がフィリピンの方です。

彼らは、程度の差はありますが、おおむね、フィリピンスタイルの英語をしゃべります。

ちなみに最近、Facebookで、言語に「日本(関西)」というのが追加されました。

これに切り替えて改めて思ったのは、イギリススタイルの英語とアメリカスタイルの英語の違い、と、東京スタイルの日本語と大阪スタイルの日本語の違い、というのは、似ているところがあるなあ、ということです。

私は、最終的にイギリススタイルの英語をしゃべれるようになりたいというわけではありません。

かといって、アメリカスタイルの英語やフィリピンスタイルの英語をしゃべれるようになりたい、というわけでもありません。

日本スタイルの英語がしゃべれるようになって、色々なスタイルの英語をしゃべる人々と楽しくコミュニケーションができれば十分と思っています。

昔は、「正しい英語」を学ぶことが重要で、訛りのある英語を覚えてしまうと笑われる、みたいな感覚があったように思います。

しかし最近は、最低限コミュニケーションできる程度の範囲であることが前提ではあるものの、それぞれの国のスタイルの英語が積極的に認められてきているように思います。

日本も「日本スタイルの英語」でこれに参戦すればいいと思います。

また、日本においても、「正しい日本語」は、以前に比べれば、あがめ奉られるような存在ではなくなってきているように思います。

自分のふるさと、自分のこれまでの人生の味がにじみ出てくるような話し方を、自信を持ってできる。

その方が、より豊かな社会として、ベターなのではないかと思います。

通常の会話であっても、プレゼンテーションの場であっても。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?