見出し画像

◆萩尾望都/著『一度きりの大泉の話』②~実は頼もしい萩尾さん

こちらのレビューではざっくばらんに記したいと思います。

◇萩尾さんのすべての物語に寄り添いたい

幼い頃、萩尾さんの作品と出逢いました。

本の虫と呼ばれた僕は漫画には関心がなかったのですが、きっと文学的なナニかを感じたのでしょう、ある日書店でふと意味もなく「トーマの心臓」の単行本が目に付いたという訳です。

極身近な友人などは、萩尾さんの作品と出逢わなければ造形物作家として生きている今の自分は居なかったとも言っております。

萩尾さんの作品で歓び悲しみ悶え笑い恐怖し考えさせられ、あらゆる意味で楽しませていただきました。

まさかこのような対人トラブルの苦しみの中で作品を描き続けてくださっていたとは思いもよりませんでした。

筆を折らずに居てくださったこと、
本当に本当にありがとうございます。

多くの苦しみは人と人との間で生まれます。

人はみな完璧ではなく、ぶつかって失敗してどうすれば良かったのかを学び挑戦しまた転んで学ぶからです。

本著の内容にいろいろな声があるようですが、これまでたくさんの楽しみを与えてくださった萩尾さんの苦悶の本著に対してだけ「書かないでほしかった」なぞ思うわけもなく、むしろご存命の間に吐露してくださり、個人的には萩尾さんの人生の中の大きな大きな出来事を知ることの出来たありがたさに感謝したい気持ちです。


◇本著に対するいろいろな声

この著書に対しいろいろな声が上がっているのを見ました。

「50年前の事をなぜ今更」⇒しかしその50年間、相手のかたとて直接謝りはしませんでした。

「相手が謝っても許せないのか」⇒謝ればすべて許されるものと思う人はそれこそ身勝手と存じます。

「書かないでほしかった」
「二人には仲良くしてほしい」⇒第三者が他人にこうであってほしいと要求する、これもエゴです。

そして相手の気持ちや嫉妬を「察してよ/察しながら行動すべき」という声⇒世の日常でそれを皆が出来ていればトラブルなどほぼ皆無でしょうに。

中には商業的な理由があるのか、萩尾さんが大泉時代に関して”伝説”や”神話”という表現を否定しているにもかかわらず、その直後に『かくして萩尾の意図とは逆に(中略)大泉サロンは美しい伝説となった』などと無神経で強引な評論を寄稿したプロの文章家もおり、まあそれはそれは様々な声多きです。

しかし

萩尾さんの人生です。
萩尾さんが思って感じて動いたこと、
それが萩尾さんの人生の物語です。

萩尾さんがどうしても伝えたくて書いたものであれば
どんなに辛い内容でも自分は心を寄せたいと思います。

こちらの意に副う副わないじゃない。
あなたがあなたである為に。

50年前もそうやって

あなたがあなたであればよかったのです。
ただそれだけで。


◇実は頼もしい萩尾さん

人の心理などをよく考える僕からの視点では「…これは頼もしい」と歓び唸る点がいくつも見受けられました。
※『』の中は本著からの引用文です

1.『その「私は名前は出さないの」という作戦には落とし穴が見えました。落とし穴というのは、増山さんの作品を描いた誰かが落ちる穴です。』

⇒これには驚きました。20歳そこそこでこの落とし穴に気づくとは…頼もしい!

2.『彼女の評価しないものを描くと注意を受けました。(中略)私は増山さんの期待に応えるのは無理だと諦めました。』

⇒読んでいて膝を打ちました。「そうそう、それでいい。そうでないと『自分』は維持できない」と。本当に頼もしい!

上記2点以外にもたくさんの頼もしいエピソードがありましたが、僕は最後にその相手”支配者”が萩尾さんを諦めてくれたその言葉にホッとしました。

『モーサマって、なにを言っても無駄ね。私の言うことを聞かないのね。』

そうです。
読者のほとんどの方々が思うように支配者がそこに居ました。
個人的にはマニピュレーターと感じています。

支配者はその配下に対し、喜ばせ持ち上げて突き落とし泣かせ苦しめ時には孤立させようともします。
非常に危険です。

萩尾さんは苦しめられながらも、空気を読むのが苦手なご自身の性質のお蔭でその支配しようとする者に対し平然と

『ごめんね、全然わからない』
『シンクロできない』
『無理』『チンプンカンプン』

と言って拒絶できたのです。
これも頼もしいです。

『「その違いを彼女は許してくれなそうだな、思いどおりにしてもらいたいんだな」と、なんとなく引いていきました』

それでよかったのです。
良き役割もしてくれたでしょうけれど、やはり支配者はそばに置いてはならぬものです。

最後に僕はこういう萩尾さんにほっこりいたします。

漫画の原作の話をしていて、物語に出て来る演奏者が互いにぶつかり合うというくだりの所で

『それは、話し合えばいいんじゃあない?』

と相手に尋ねる萩尾さん。

そうです。
人というものはぶつかり合うのは最後の手段で
話し合えばいいのです。

それをもともと解っている萩尾さん。

自分の気持ちを整理して相手に伝えるのが遅くとも、言われた言葉をそのまま受け取り隠れた真意に気づくのが遅くとも、僕はあなたにそのままで在ってほしいと思う。

本著の最後、城氏の言葉のままに

萩尾望都が萩尾望都であるために。


※文章の一部に友人どりさんの表現を使用させて戴いております。


最後まで読んで戴きまして感謝申し上げます。心の中のひとつひとつの宝箱、その詰め合わせのようなページにしたいと思っておりますです。