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企画書の言葉をそのまま使わないこと。

今朝、行きの姫路駅で見たポスターのことについて少し書いたけど、帰りに見た姫路駅の幟についてもひとこと言いたい。

それは、
企画書の言葉を使うのはなるべく避けたいということ。

ディスティネーションという言葉を分かるひとがどれほどいるだろう。
ジェイアールのキャンペーンや都道府県のポスターでも良く見かけるが、こういう言葉は企画書に使う言葉であって、一般のユーザー向けには避けたい言葉だと思う。  

意味が分からないだけでなく、こういう言葉があることでポスターの気分(ここでは幟だけど)の楽しい気分を台無しにしているようにワシは思う。
じぶんならこういう言葉はもっと楽しく平易な言葉に必ず置き換えるようにしてる。

そして、テロワール旅ってなんだ?
これまた企画書の言葉であってアウトプットに使うとこういう幟でさえ意味不明で楽しくないものに感じる。
世のコピーライターもしくは、こういう仕事で言葉を司る役割の方はそういうところまで神経質であるべきだ。
近ごろ企画書の言葉をそのまま使っている例を散見する。
プロジェクト内では共通言語であっても、プロジェクト外の方には通じない。
通じないということはこの幟にどれだけのコストをかけているかは分からないけど、そのコストは無駄になっていると考えるべきだし、もっと大事なことは意味がわからない時点でメディアとして機能していないということだ。
そう考えるとの世の中に通じる言葉に置き換えないと、せっかくつくるものがもったいないよね。

こういう例は、とくに行政の仕事に多いように思うなあ。行政の仕事を槍玉にあげてすいません。別に目の敵にしているわけではないのよ。つくる側も選ぶ側も見るひとの目を持って客観判断すれば、こういうことは起こらないからね。

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