【雑記】たいせつな日々がやがて訪れて、と桑田は歌う。

私の知っている相鉄線、かつてを過ごしたアパート、原っぱはあの頃とんでもなく広かったのに、今じゃ向こう側まで見えてしまう。江の島の海に浮かべた牛乳パックのボートでおぼれかけたことは、今でも夢に出るほどだ。通った幼稚園で飼っていたうさぎの中に「ゆうこ」という子がいて、その子は私の弟の指を噛んだ。

あの頃と何が変わったんだろう。誰かを好きになり、好かれて、結婚して、子どもが生まれて、その子を連れて横浜をめぐって、ここがお母さんの通った幼稚園なんだよ、だなんて教えてみたりして感傷に浸る。腕の中でまどろむ子は、そんな話を聞いちゃいなかった。ここに君を通わせてあげたかったな、とつぶやくと、前夫は鼻をふんと鳴らし、私を馬鹿にした。

大人になってから得た愛ある生活は、終わらないと思っていた。たくさんの人の前で誓いを交わすことは即ち永遠であり、責任である、と。しかし、あっけなく終わった。10年。10年も神奈川に住んでしまった。
三重から神奈川までの間を、バスで、車で、新幹線で、何度往復したことだろう。薄桃色の朝焼けも、雨にけぶる山々の緑も、午後のSAで飲むカフェラテも、夜風を切って走らせた長い長いトンネルも、たくさん超えて、終わらせた。想定していたよりも早い新幹線に飛び乗ったときの息切れを、私は今でも思い出せるのだ。
最後(になった)の夜の高速道路、飛島ICの灯りを目の端に、泣きながらハンドルを強く握り、バックミラーで子どもの寝顔をしっかりと確認して、ぐちゃぐちゃになった化粧とともに涙を拭った。どんどん関東が、神奈川が遠くなる、後ろを何度も振り返り前夫が追いかけてきているのではないかと怯え、何度もSAで車にGPSが取り付けられているのではないかと車中を漁った。今思えば非常に滑稽だ。

どうしたって終わることを人間はいちいちスタートさせてしまうのだろう。終わるかもしれないものを抱えて足取りを重たくしていく。なのに、いつだって足取りを軽くしてくれるものもまた、たくさん世界にはあふれているから面白い。



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