キャロルの庭 vol.1

電子書籍を毛嫌いしたまま数年が経つ。
紙の匂いが、とか、めくる動作が、なんて耳障りのいい言葉は数あれど、一番の理由は「かっこいいから紙の本がいい」でしかない。
好きなのだ、紙の本を選び、購入し、持ち歩き、読んでいる自分が。

「青ちゃん、バルサミコ酢がもうない。」
青ちゃん、というのは私の高校時代の後輩だ。
「へー。」
「へー、じゃないよ。青ちゃん、頼んでおいてよ。」

私が週に4日、金土日、そして水曜にアルバイトをしているカフェテリアバーは「キャロル」という。青ちゃんによると「特に意味はない」のだそうで、なんならはじめは「carol」が読めず、「カロー」にしようとしていたくらいだ、と言っていた。あながち、発音的には間違っていないけれど。
そんなキャロルで私は今日もコーヒーを淹れ、ハニーマスタードを塗ったサンドイッチを作り、夜はバーテンダーとしてカクテルを銘々グラスに注ぐ。
キャロルが暇な時や休日はだいたい作家をしている。だいたいがお金を目的とした文筆業だ。そもそもお金が目的じゃない文筆業なんてあるの?と青ちゃんは言うけれど、あると信じて書き続けることこそが作家の本質、なのだと私は思う。

キャロルには色んな人がくる。
作家もくるし、その作家担当編集者もくるし、酒屋もくるけれど、裏となりの古本屋はこない。
キャロルの裏となりには古本屋があって、実はキャロルの通用口とそこはつながっているのだ。古本屋の店主は、その通用口でときどきこっそり煙草を吸っているのを私は知っている。店主は私の名前こそ知らないけれど、見かけるたびに会釈をして、左側の頬を少し歪ませるのだった。

青ちゃんは一度自動車整備の仕事に就いたけれど、一体どういう心境の変化なのか、私の知らない間にキャロルを開店していた。
私は高校を出てから定職には就かずふらふらとしており、「めんどうだなあ」が口癖で、社会通念や常識なんてめんどうだなあ、と言ったら、それを一切合切引き受けてくれるという人が現れて、結婚した。結局子どもができないという理由で結婚生活は7年で終了した。そんな話をキャロルでごちていたところ、だったらうちでアルバイトしたら、と青ちゃんに誘ってもらったことがはじまりだ。

できたてのキャラメルみたいな色をした、厚い扉が開くと同時に「こんちは。」と酒屋がやってきた。
今日もキャロルの一日がはじまる。

(キャロルの庭、というタイトルだけ思いついていて、ずっと手がつけられなかったのですが、ゆるゆると連載していこうかと思います)


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