苺の花の咲く頃に vol.1

言葉は不思議だな、と祥子は常々思う。
例えば「おはよう」。
おはよう、は4文字で構成されているのに、そこには朝の挨拶の「おはよう」以上の気持ちが確かにそこにはある。
例えばママが私に発するおはようと、パパに発するおはようと、おばあちゃんに対するおはようは違うな、と思う。

「おはよう、祥子。もう7時よ。」
今日のママのおはようは70点くらいのご機嫌度だ。
きっと昨日はおばあちゃんが大人しかったのだろうな、と予想した。

70点ぐらいのご機嫌度の日、朝ごはんはふわふわのオムレツだ。
ママのオムレツは洋食屋さんのそれ以上で、バターの香りが飛ばないような火加減なんか、もうプロレベルだとパパは言う。
ちなみに50点を切るご機嫌度だと朝ごはんはハムチーズトーストとミルクたっぷりのカフェオレのみになる。
そのことに気付いているのは私くらい。
パパはきっと朝ごはんが順番にぐるぐる回っているくらいにしか思っていないし、おばあちゃんはパンで朝ごはんなんて私は嫌よ、といって、白米とお味噌汁、お漬物を一人で用意して食べている。

ふわふわのオムレツにクロワッサン、なんと今日はオレンジジュースまでついてきた。
お皿に乗ったプチトマトだけは許せないけれど、そんなことは大きな問題じゃない。
祥子は小ぶりのフォークをオムレツにゆっくりと差し込んだ。ほわっとした湯気が上がる。
「おはようございます。」
おばあちゃんが炊きたての白米とお味噌汁(今日はじゃがいもとさやいんげんだ)、お友達の旅行土産だという奈良漬をお盆に乗せて、お台所から出てきた。
おばあちゃんはいつも、「おはようございます。」と挨拶をする。
祥子はおばあちゃんのそれが大好きだった。
凛とした声、9文字ぴったりの響き。冬の朝なんて冴え冴えとした空気にぴんと張り詰めていて、あんな風に挨拶出来たらきっと素敵だろうな、と思う。
「おはようございます。」
祥子も頑張っておばあちゃんの真似をしてみるが、到底同じような響きにはならない。
「今日は雨が降るみたいよ。傘を持ってお行きなさいね。」
「はあい。」
そういえば、靴下に穴が空いているんだった。お母さんに頼まなくては。
「お母さん、靴下。」
「ああ、穴がね。もう数が少ないから、買い足すわ。」
「ありがとー。」
ここまで言って、しまった、と思った。そしてそれは、もう時すでに遅し、だ。
「かよ子さん、最後まで祥子に言わせないとだめよ。察してはだめ。きちんと、言葉で伝える練習をしないと。」
お母さんはおばあちゃんのこういうところが苦手なのだそうだ。決してぼけているわけではないが、歳を重ねるごとに口煩くなるおばあちゃんのひとつひとつが、お母さんにとってすごく負担なのだろう。
なんとなく気まずい空気を感じてしまい、祥子は急いでオレンジジュースを飲み干して、ランドセルを背負った。
せっかく、傘を持っていきなさいね、と言ってくれたおばあちゃんの助言も虚しく、祥子はすっかり傘のことを忘れて家を後にしたのだった。

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