キャロルの庭 vol.4

平成のダビデ像、田町は私のことを「先生」と呼ぶ。

「先生じゃないです、やめてください。」
「じゃあなんて呼べばいいの?」
「知る必要、ありますか。」
ないけどお、と言って、田町はへらへらと笑う。

今日の私は、カウンター内のキッチンでゆで卵を茹でていた。
ランチに出している日替わりサンドイッチの中身は青ちゃんが決めるので、私はそれに従って調理をする。
今日はゆで卵ときゅうり。オーソドックスな中身。パンの厚さは薄めで、マスタードは塗らない。
ああ、なんと楽だろう。
自分で決める必要がない、ということは存外楽ちん。

「あの、もうお昼なので。」
田町はカウンターでコーヒーを飲みながら、スマートフォンを何やらしゅっしゅといじる。
「んー?俺客だけど。」
「そうですけど、お客さん来てしまうので。」
「じゃあ俺今日も日替わりサンドね。」
このやり取りを今週はすでに三回もしていた。

「なあ、今日のゆで卵、固くね。もっさもさ。」
「私のせいじゃないと思う。茹でてる間に話しかけられたから、タイマーセットするの忘れたのよ。」
青ちゃんは味よりも食感にうるさいのだ。
「俺のせいにしようとしてる?」
「田町、また今日も朝から入り浸ってたの?」
だって、と田町は頬をわざとふくらませるけれど、目元の彫りが深いので変なコントラストが生まれた。
「まあ、来て金払ってくれるなら田町も客だわな。」
そう言って青ちゃんはなんだか楽しそうに洗い物をはじめた。
ランチタイムがはじまる前のキャロルの、なんだか奇妙なひと時。田町がお客として来店するようになって、こんな時間が定着しつつあった。

青ちゃんが洗い物をはじめると、なんとなく私は手持ち無沙汰になり書き物をはじめる。
麦、というのは私のペンネームで、本当の名前は夏樹というのだ。
キーを打つよりも手書きの方がすらすら書ける、というのは言い訳で、ここまでパソコンを持ってくるのは大荷物になるので、いつも原稿用紙に手書きで書く。
「何書いてるの?」
田町が聞く。
「なんでもないです、仕事です。」
「ああ、むぎ?先生だっけ?むぎ!」
「まあ、あれです。麦芽の、麦です。」
「ふうん、麦。」
田町はにこにこしながら頬杖をついていた。
田町のそういう無邪気なところが私は苦手だ。
無垢、というか、疑心のない笑顔というか、悪意のない環境で生きている人の、健全な精神や選択が私にはまぶしい。

そういうの、ないものねだりって言うんだよ。
と言ってのけたのは、誰だったか。

(夏樹に感情移入しすぎて泣きながら書いてるのは私です。)


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