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耳川のラスボスの上椎葉ダムは「閣下」と呼ばれている。

宮崎県の耳川は、九州電力のダムの宝庫です。
その中でも、椎葉村の上椎葉ダムは、最上流に位置します。

1955(昭和30)年に完成に完成しました。
堰堤の高さは110メートルです。セクシーな曲線美があります。
約9万キロワットの電力を生み出し、北九州工業地帯に送電されました。

最大の特徴は、我が国初の大規模アーチ式ダムということ。
まっすぐな重力式ダムとして計画されましたが、途中に米国の科学技師団から「アーチ式ダムでもいける」の助言があり、九州電力の幹部が検討した結果、アーチ式ダムの建設にチャレンジすることになりました。
ストレート勝負だったのを、メジャーリーグから来たアメリカ人のピッチングコーチが、「カーブだ」とアドバイスしたような感じでしょうか。

アーチ式ダムは、使用するコンクリート量が少なくて済むのが利点と言われています。
しかし曲線であることから工事は複雑になり、施工期間が長くなります。
その結果、人件費がかかることになります。

上椎葉ダムの成功によりダム工事技術が蓄積されて、この後、日本国内で大規模なアーチ式ダムが建設されていきました。
しかしながら、国内のダムの中でアーチ式ダムの占める割合はわずか2パーセントと言われており、意外にレアなのです。
そして人件費の高い日本では、もう建設されることはないとされています。

ダム湖が一望できる場所は公園になっており、「女神の像」があります。
三面の女神は、仏教、キリスト教、神道をイメージしています。

女神の像

完成までに105人が亡くなっており、像の横にある碑文には死亡した方の名前が刻まれています。中には水害で流された女性の名前もあります。
驚くのは、「不詳」が3名もいることです。
全国から延べ5百万人の労働者が集まりましたが、様々な事情から姓名を変えて工事に従事した人もいたのです。

延岡労働基準監督署の労働基準監督官が椎葉村に駐在し、4年間、現場工事を監督しました。
このときの労働基準監督官の今泉敏迪氏は、手記として「弧線のダム:上椎葉ダム建設記録」を残しています。
巻頭言は、当時の労働省労働基準局長が書いています。

堰堤の左の崖の工事で、約70人が亡くなっています。
これほど死亡事故が頻発するのは、祀ってあった水神様の祟りではないかと噂が立ちました。
そこで、九州電力社長の筆で「人柱」と書かれた柱を、建設現場に埋めました。建設中には、幽霊が出たという話も書かれています。本当の話です。

1988(昭和63)年に、私は労働省労働基準局安全衛生部労働衛生課に勤務していました。
そのときに、宮崎労働基準局(現在の宮崎労働局)の退官する労働基準監督官の手記を見たことがあります。
上椎葉ダムで約100人の労働者が亡くなりましたので、次に九州電力が県内に建設する大規模アーチ式の「一ツ瀬ダム」では、半分の50人以内に抑えようと計画をしたとありました。

1963(昭和38)年に完成した西都市にある一ツ瀬ダムは、堰堤の高さが130メートル、生み出す電力は約18万キロワットと、上椎葉ダムの約2倍の規模でしたが、死者は41人と半分以下となっています。

当時は、まだ労働安全衛生法はありませんでした。
労働災害で、毎年6000人を超える労働者が亡くなっていたのです。
現在は、2023(令和5)年の労働災害での死亡者は755人で、過去最少となりました。

災害は少ないということでは駄目で、ゼロにしないといけません。
我が国から始まった労働災害をゼロにするという取組は、「ゼロ災運動」と呼ばれ、世界に広がりました。英語は「VISION ZERO」。

上椎葉ダムは、大規模アーチ式ダムの最古参であることから、ダムマニアから「閣下」と敬称されています。
ニックネームがつくダムとして「クロヨン」がありますが、これは黒部第四ダムを省略したもので、「閣下」のように擬人化したものは他に知りません。
ダムマニアは、上椎葉ダムに訪れると、「閣下お元気そうで」といたわります。

私は、ダムの横にある椎葉中学校に通っていました。
毎日ダムを見ていましたので、見慣れていたことからあまり価値がわかりませんでした。
しかし、上椎葉ダムのことをよく知るにつれて、いとおしくなりました。

上椎葉ダムを訪れると、いろんな世界が見えてきます。
皆さんも一度、「閣下」に会いに来ませんか。
ダムカレーもありますよ。

死亡事故があいついだ堰堤の左側
ダムの真下の風景
平家祭りのダムカレー(上の写真に似ています)



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