番外編〜「当事者」のあいまいさについて

 今回は番外編ということで、大阪大学大学院の臨床哲学の受験問題を扱います。なぜかというと、2022年度の秋期試験に、なんと「『当事者』概念のあいまいさについて、多角的な視点から論じなさい」と出題されたからです。
https://www.let.osaka-u.ac.jp/ja/admissions/files/psj8vc

 私だったら、どう答えるだろうと考えたのですが、天邪鬼なことしか考えられませんでした。

 まず「当事者」概念は、その由来となる民事訴訟法において、原告および被告の双方を指しており、曖昧ではありません。したがって「当事者」概念に曖昧さがついてまわるのは、法律以外で用いられるようになってからでしょう。

 法律以外で用いられるとき、「当事者」は「ある事柄に関係する者」といった意味で用いられます。たとえば、事件や事故の「当事者」といったとき、被害者はもちろんのこと、加害者も該当するでしょう。さらにはそれぞれの家族や友人知人あるいは目撃者も含まれるかもしれません。ここでの「当事者」は、個人に焦点当てて、大雑把には、直接なのか間接なのかといった区別ができるため、それほど曖昧なく使うことができるでしょう。また「関係者」を「当事者」と表現せずとも、「関係者」でこと足りるように思われます。さらに「当事者」が「関係者」の意味で用いられるのは100年以上前(大隈重信の「始業式に臨みて」(『早稻田學報 第三百十五號』早稻田大學校友會、1921)に「当事者」がありました)からなので、こうして2020年代の大学院の問題にはならなかったでしょう。「当事者」概念があいまいさを持つようになったのは、「関係者」とは別の意味で用いられるようになってからと考えられます。

 「当事者」が「関係者」とは別の意味で用いられ、曖昧さを伴うようになったのは、2003年刊行の『当事者主権』以降ではないかと思っています。そこではまず「障害当事者」や「女性当事者」といった「属性」を有する者に対して「当事者」が用いられます。また「当事者」を「ニーズを持つ者」と定義して、社会運動を行うといった「行為」する者としても用いています。つまり「当事者」概念が曖昧なのは、「属性」と「行為」とを混同してしまっているからと考えられます。それは『当事者主権』の著者の一人である上野千鶴子さんの集大成とも言われる『ケアの社会学』にも見られます。上野さんは、「ケア関係」は「ケアする当事者」と「ケアされる当事者」との相互作用としており、厳密にはニーズの発生元と派生先の区別がありながらも、どちらも「当事者」です。前者は「行為」における「当事者」であり、後者は「属性」における「当事者」として考えることで、曖昧さが少しは減らせるのではないかと思います。そして「当事者」の曖昧さと相まって、「非当事者」にも曖昧さがあるのです。

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