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ぱっぱや!
無名人インタビュー
記事になりました。
終始笑っててなんだコイツと思いました。ウケんね。
後半で親についてちらっと触れたので昔に書いた母の話もリンク貼っておこうかな
あの子は、わたしの愛する母 | かがみよかがみ
— ラウル (@l_a_w_l) April 30, 2021
ぼくが被虐待児で、ぼくの母の人がぼくを損なっていると言った誰かへ。そうだねあの子は良き母ではなかったね、というお返事です。
あの子が「理想的な母親」であったなら、ぼくは今のぼく以上に損なわれている確信があります。 https://t.co/1keBO2GGzY
ココちゃんを「良き母親に向いているタイプ」だと思わないことと矛盾せず
ココちゃんを「良き母親」だと思っているわよ
(これについて以前は「良き母親ではないが素晴らしき隣人であろう」と思っていた ここ数年「いや普通に素敵な良き母だわ」と考えを改めている)(ずーっと、好き)
彼女の話ももっと書きたいな。
いちばん近くにいる、付き合いの長い同性の先輩。
わたしはココちゃんのことをそう見ている。
こういう感覚の話をすると、親子関係が希薄なのかと誤解されることがある。
不思議だ。
わたしに「おとなのともだち」がたくさんいたからだろうか。
密に関わる大人が親しかいないのであれば、彼らの「親」としての面ばかり目に入るのだろう。そうして形成される人物像は、わたしが持つ大人のイメージと大きく異なるはずだ。
面白いね。
余談 というか一応の付記
当然だけれど「ココちゃん」は「ココちゃん」って名前ではないわよ。
わたしが「ちゃーちゃん」じゃないことくらい分かるでしょ。
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