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不安しかないアニメ『推しの子』二期、制作陣はガチで危機感持った方が良いと思う理由

私は「推しの子」という作品を愛している。
心から愛している。
だからこそ、アニメ一期の内容を見る限り、来るアニメ二期の出来が心配でならない。
一期と似たような具合で二期の内容をアニメ化した場合、おそらく良いものにはならないだろう。
ガチで危機感持った方が良い。
今回は私がそう考える理由を述べていく。

*当然ながらネタバレ注意
*実際のアニメ映像及び漫画を参照しながら以下の文章を読むことを推奨

先んじて簡単に結論を言うと、
「アニメ製作陣は原作の良さを継承するのが下手」
という一点に集約される。

まず推しの子のアニメに点数を付けるとしたら、90/100点程だろうか。
かなりの高得点といえる。
なので、放送時あれだけ評価され、話題になったのも当然ではある。
しかしこれは、推しの子原作が150/100点の化け物作品だからであって、アニメは原作の6割程度のクオリティしか出力できていなかったと私は考えている。
面白くなかった、駄作だ、と主張したいわけではない。
ただ、もっと良いものにできただろうと思わずにいられないのだ。
推しの子で150点のアニメを作れないのなら、次に150点のアニメを作るチャンスはいつになるだろうか。
一話は良かった。本当に。
だからこそ以降は残念に思うことの方が多かったという具合だ。
ただ批判がしたいわけではないということを理解してほしい。

総論

まずはアニメの12話全体を通して、総論的に語ろう。

推しの子一期は、OPテーマは化け物だったしEDもいい意味で話題になった。挿入歌も良い曲が多かった。アニメ本編は気合が入っていることは伝わっていたし、原作の時点ではそこまでだったシーンをグッとくる演出にすることには長けていたと思う。

しかし、全体的に間が悪く要所の演出が稚拙で、原作の解釈力に乏しかったのが推しの子一期の良さを潰していた。

・ギャグシーン

まず原作の推しの子の序盤は、面白い会話ややりとりのシーン(以下ギャグシーン)が作品を通して多いあたりで、それがこの時期のこの作品をスーパーたらしめる重要な要素の一つなのだが、間が悪いせいでだいたい面白くなかった。
なんなら1話以降で一番面白かったのは、原作にはない校長の演説が雑に切られるところだった。
ギャグシーンが面白くないのはハッキリ言って、この序盤においては致命的だった。
軽妙なギャグシーンは原作者、赤坂アカの真骨頂であるはずであり、まずその点が死んでいるというのは受け入れがたい。
現製作陣でうまく映像化できないのであれば芸人の監修を入れたほうが良い。

・劇中のBGM演出

次になるが、劇中のBGMが仕事をしていない。
私は良いアニメには良いBGMが付き物だと考えている。そしてそれは印象的なシーンとして感情を揺さぶり、自然と頭に残る。
だが推しの子一期の視聴者は劇中にどんなBGMがかかっていたか覚えているだろうか?
私は何一つ覚えていない。
二期の内容を考えた際、おそらくBGMの使い方がより重要になってくるので、今のままでは期待できないと言わざるを得ない。
ちなみに7話最後の、黒川あかねがアイの真似を仕上げて見せたシーンで流れていたのはED曲のイントロであるのでBGMではない。
あと音響の使い方も良くない。

・制作陣の解釈力

そして最大の問題である解釈力に乏しいという点であるが、これは後に実際のシーンを実例に上げて説明していこうと思う。

推しの子二期の内容は、原作を読んでいる人なら知っていると思うが、物語の帰結や事実より登場人物の感情的な面がフィーチャーされる
その面白さは原作の時点で既に最高であり、その良さを確実に継承することが求められる。
よって映像としては間はより重要になり、他の良い作品なら良いBGMが盛り上げてくれると予想されるシーンが多くなる。
以上の映像化成功に必要なことが現状では全てできていないのである。
推しの子二期の内容は、原作は本当に最高で、何回読んでも素晴らしいので絶対にアニメ化に失敗しないでほしい。

各論

さて、アニメの私が考える、失敗していたシーンをダメな順に見ていこう。

・アニメ第8話 13分あたりからのアクアとあかねの告白~キスシーン

【原作三巻30話】

これは本当に最悪だった。本当に怒りを覚えた。
アニメ一期最大の大罪シーンだと言える。

色々あったあかねが、それらを経てアクアを受け入れたことが、あの素晴らしい一枚絵で読者の脳内へ直撃してくる最高なシーンだったはずであるのに、ただの性欲的なキスシーンにされた
アニメが初めての視聴者やバカはそれでも盛り上がっていただろうが、それはキスシーンだから盛り上がっていただけで、それが持つ意味に感情が動いたわけではない。
あれはキスの過程を映してはいけなかった。
口と口が近づいていくシーンを描いてはいけなかった。
メスの顔をしたあかねを描いてはいけなかった。

アクアがあかねに告白して、すぐにあの一枚絵が来なくてはいけなかった。

急激に最高潮を迎えることが重要だった。その間でないと、キスシーンとして意味を自然に捉えられない。


長文になるが、アニメと原作の違いをさらに詳細に見ていく事とする。
まず原作である。
アクアが告白する番になり、例のキスシーンまでのコマ数は5コマ、ページは見開きの半分である1ページだった。
コマの内容を記述する。
①アクアがあかねの元へ歩いてきている(アクアが告白相手にあかねを選んだ描写)
②アクアの無機質な横顔
③あかねの表情(この時点ではアイのモードに入っている)
④アクアがあかねの目線に合わせてしゃがみ、手を握って何かを言っている+「行動とは反する損得の思考」の心理台詞
⑤あかねの表情(あかね本人に戻っている)
→キス
という流れである。

次にアニメである。コマとして分けるのは難しいので、カメラワークとシーンの意味を考慮し独自に分割した。
①前の組の告白の様子を見ていた(?)あかねにアクアが近づき、気付いたあかねが振り向く
②あかねの表情(目のドアップ)
③近づいてきたアクアが立ったままあかねの頬に手を添え、あかねは添えられた手に頬を預ける
④アクアが何か喋っている様子の口元が左に移動
⑤あかねの目元(あかね本人に戻っているという描写)
⑥お互い唇を近づける描写
→キス
という流れである。

原作の内容にはキスの動作はない。
あるのは、アクアがあかねを選んだこと、その裏に打算的な考えがあることを強調する絵と台詞、あかねの『アクアが自分を選んだこと』と『告白(とおそらくその内容)』に対する表情の変化である。また、重要な内容であるのにたった5コマで描いている。
この事から、原作ではキスそのものではなくキスに関わる二人の心理や意味に注目してほしいという意図が感じられる。
キス自体を強調したいのであればそれこそ二人の唇が近づくコマやアクアがあかねの体を寄せる描写を描けたば良いし描けたはずである。

このコマ群を見て、自然な解釈をすれば、
・まずアクアはあかねを選び、歩いてあかねの元へ向かい、あかねはそれに気付いた①
・しかしアクアは恋愛の意味を帯びていない②
・あかねはアクアが自分を選んだことに少し感情が動く③
【おそらく納得5喜び4驚き1程度のバランスだろうか。この場合の喜びとは、アクアがやはり自分を選んだことと、リアリティショーの部外者ならずに済んだことが半々程度であると推察する】
・あくあはあかねの目線に合わせてしゃがみ、手を取って何かを言う④
【推測だが単に「俺と付き合ってほしい」ではなく「嫌だったら拒否してほしい」等だと思われる。次コマのあかねの表情からみるに。
 アクアはそんな紳士っぽいふるまいで、見ていてドキっとするような演出をしていながら、内心では打算的なことを考えているというギャップが、ここのミソだと思う】
・そしてあかねは「嫌だったら拒否してほしい」というアクアの言葉に一瞬思考が止まって素の自分になり⑤、考える間もなく感覚的にアクアを受け入れる(キスする)。
【根拠として、このコマだけ左下が明確に書き込まれておらず、白飛びしている。コマの時間経過が速いことを示していると考えられ、であるなら思考をまとめる時間はないはずである】

という流れであるだろう。
論理的に考えるキャラのあかねが、瞬間で感覚的に結論を出しアクアを受け入れた(つまりそれなりの好意がある)、という描写が、アクアとあかねのこれまでの関わりの積み重ねを強調し、キスシーンの一枚絵に大きな意味を持たせるのである。
よってこのシーンはアクアの台詞から二人の唇が触れるまで、論理的に思考する時間があってはならない
またキス自体に意識を持っていかれてはいけないのである。

しかし、アニメである。
何がダメだったかというと、まぁ改変された内容のほぼ全てであるが、解説しよう。

まずキスの流れになってからが無駄に長い。これにより、感覚的にあかねが受け入れたという要素が失われている。
漫画ではキスはキスのコマになった瞬間に始まり、余白がない。アニメでは言葉でなにか言う前にあかねの頬に手を添えており、この瞬間からキスシーンは始まっている。

次はアクアが紳士的ではないという点である。アクアは立って見下ろしたまま急にあかねの頬に手を添えるので、行動から性欲満々の男と被りセックス的な匂いが見える。

そしてあかねの表情がメスの顔過ぎるし、頬を添えられた手に寄せることでセックス的な匂いを強調させている。

さらに唇が触れるまでの流れでセックス的な匂いを増幅させ、

無事キスというセックスの一部を完遂した。

というのがアニメの一部始終である。
キスシーン以外の何物でもない。それ以上の意味はない。
陳腐なシーンになったものである。

ちなみにアニメの①の描写も良くないのだが今回は割愛する。

長くなったが、キスシーンに関しては以上である。
アニメ二期がどうしてうまく製作されると思えるだろうか。
このシーンのコンテを描いた人およびGOを出した人は、本来非常に素晴らしかったシーンを台無しにしたことを自覚し反省してもらいたいものである。

・アニメ第8話 12分04秒からの、あかねがアイに隠し子がいると発言したシーン

【原作三巻30話】

ここはアクアがあかねを利用できると意見を変えた重要なシーンである。原作では漫画なので1コマで収まっていていいが、アニメでも1枚絵のスライドで終わらせるべきシーンではなかったと思うし、なにより台詞のタイミングが悪すぎる。
アニメではあかねの「アイには実は隠し子がいる、とか」の台詞が始まる前から一枚絵のスライドが始まる
あかねの台詞が始まる前からアクアが怖い顔をしていたとしか思えない演出の仕方である。
このシーンは「隠し子がいる」とこの部分を言われる前後のアクアの表情の変化で見ている側をもゾワっとさせなければならないシーンである。
なぜこの演出で行こうと思ったのか。
あと強いて言うなら「隠し子がいる」の後のあかねの台詞は、音響を変えてアクアの思考が止まっていることを強調したほうが良いだろう。

・アニメ第4話 6分あたりからの、「それでも光はあるから」に繋がるシーン

【原作二巻17話】

ここも有馬かなとアクアの演技に対する信頼関係が再認される重要なシーンであるが、またしても外している。
原作ではウオォォとなるのにアニメではフーンなシーンで終わっている。
端的に言うと、「それでも光はあるから」に向かっての盛り上げに失敗している。
急に良い感じの効果音を流したぐらいで良くなると思わないでほしいものである。
絶望的に間が悪い。

いらない順に指摘すると、
①アニメでは「お前の人生は真っ暗闇だ」と「それでも光はあるから」の間にメルトやカメラマンのカットが入るがこれが特にいらない。ここはアクアと有馬かなの二人の言葉ではない繋がりに見る側が感動する場面なので他の人間の存在を意識させるとノイズになり邪魔でしかない。他にも間という点でアクアのカットや有馬かなのカットも余分すぎると思うが。

②「お前の人生は真っ暗闇だ」という台詞から『「仕上げだー」「有馬かなが」』までの時間がかかりすぎていて何に対しての「それでも光はあるから」なのか忘れる。

まず原作では「この先もろくな事はない」のコマで発言を受けとめているかなが描かれている(アニメだと「有馬かながうまく泣いてくれればー」の後の7:47~50での描写になっている)
「仕上げだー」の細いコマに「お前の人生は真っ暗闇だ」の噴き出しが被っており、また「有馬かながうまく泣いてくれればー」のセリフがあるコマで描かれているのは有馬かなが喋る予備動作である。
以上の要素から原作は、早めのテンポで繋がりよく読んで欲しいという意図があると考えられるが、アニメはそれを見事に台無しにしている。
というか原作の意図がなくても、ここはテンポを少しずつあげていき盛り上げるべきシーンだとわかるはずであるが。

もちろん台詞を文字で読むより実際の音声にして聞く方が物理的な時間はかかってしまうので完全に原作通りにすることはできない。
ここは撮影中のドラマの台詞を裏で流しつつ、同時にアクアの心の声を主に聞かせるというのが正解であっただろう。ドラマの台詞は何を言っているかわからなくなるかもしれないが、正直「お前の人生が真っ暗闇」かどうかなんてどうでもいいことである。

③BGMがおかしい
ここは視聴者にとって怖いシーンではなく、アクアとかなの無言の繋がりが試されるという緊張感のシーンなのに使っているBGMがホラーである。違和感しかない。
撮影しているドラマの中であればストーカーが凶器を持って暴れる怖い場面であるのでシーンとしては合っているが、ドラマの演出上「それでも光はあるから」の救いに繋がるはずなのでやはりホラーBGMはおかしい。

④間が悪い。
上記の②で論じたものに似た内容で、全体的に間が悪い。細かく指摘していくと文字数が増えすぎるので割愛する。
(例えば時間の撮影中なのにADとかの会話に余裕がありすぎる、など)
需要があれば全部問題点と改善点を指摘する記事を書くかもしれない。

と、様々な問題により一部始終が冗長で緊張感もなく、有馬かなが泣くシーンに対して感動を覚えないシーンになった。
このシーンを視聴者に刺さるように作れないのであれば、こういったシーンを上手く作れるかがほぼ全てとなる二期の内容には当然期待できない。

あと少しどうでも良いが、昔から作者の気持ちを考えろって問題は得意だったという場面でアクアが子供の頃を描写してしまうと、いや昔って雨宮五郎時代の話だろと思わずにいられない。
原作では今日あまの本とその作者の一枚絵で表現されているので、ここも無駄なミスであると言える。

作品の本質に関わる重大なミスはこのくらいであろうか。

その他


これからはいくつか原作の意図を汲み取れていないミスを簡単に紹介することとする。

・アニメ第4話 11分20秒あたりからの、コアなファンだけがひっそりと賞賛したのシーン

【原作二巻18話】

話題になってるシーンのみを映像にしているので、全然狭い界隈でひっそりと感がない。
原作ではツイートのトレンドが18位でツイート数も876件であることを見せているのでひっそりの程度がわかるのだが、なぜこのコマをそのまま使わなかったのか。

・アニメ第9話 11分 アクアが外で休んでいる有馬かなに水の差し入れをするシーン

【原作四巻33話】

原作ではアクアが現れた方向と逆の方へ消えていくのに対し、アニメでは現れた方へ戻っていく。
原作ではアクアが有馬かなを探して結構施設を歩いていた感じが出る。もしくは、かなが練習フロアに戻りやすいよう自分は練習フロアから離れるという気遣いをしているように感じる。
それに対しアニメはただ練習フロアからかなが出ていくのが見えてたので、アクアも部屋から出て練習フロアに戻っただけのシーンになっている。
かなり浅いシーンになったと言わざるをえない。
繰り返しになるが二期ではこういった要素をしっかり繋げて拾わないと大変なことになる

・第11話 6分 かな必要とされたいと考えていてアクアがオタ芸で応えるシーン

【原作四巻38話】

有馬かながライブ中であるのに心ここに有らずなシーンである。
原作では回想のコマの間にライブを切り取ったコマが挟まっているので、連続性が失われていないのだが、アニメではかなのモノローグの映像が挟まりライブ場面から完全に離れてしまっている上、ライブ中流れている「サインはB」が中断され別のBGMが流れ始めるので、見ている側が感情移入しきれない。モノローグ前に積み上げてきたものを自らリセットしていると言える。

また、悩んでいるかながアクアのオタ芸を見て噴き出しそうになるシーンでは、かなの顔の前にMEMとルビーの顔が挿入されているが、現状では要らないと思う。
かなの感情の連続性を阻害しているだけになっていると私は思う。
かなの表情をオチとした三段オチの表現として無しということではないが、その場合MEM及びルビーと、視点人物である有馬かなのカットに明確に強弱を付ける必要があるだろう。
しかしそれがないので現状ノイズになっている。
また音楽とのリズムにおいてもカットが切り替わるタイミングは良くない。

他にも思う点は多々あるが、このくらいにしようと思う。

アニメの良かった点(簡単に)

これまで良くなかった点ばかり挙げてきたが、もちろん全てが悪かったわけではない。原作からより良くなった部分も多々あるので、最後にはなるが挙げていこうと思う。

・アニメ1話 アイドルになると決めたアイの目の星に光が砂時計のように集まっていくシーン【原作一巻8話】
アイの感情の移り変わりがよく感じられた。

・アニメ6話あたりのあかねが追い詰められていくシーン【原作三巻25話】
原作よりも重く、生々しく感じられてこの当たりの表現は非常に上手かった。

・アニメ7話最後 あかねがアイに初めてなりきってみせたシーン【原作三巻28話】
これは言わずもがなだろう。このコンテきった人は天才。何回も見た。凄い。原作ではそこまでのシーンだったのに、かなりのパワーが出ていた。

・アニメ11話 B小町のライブシーン【原作四巻38話】
やはりダンス映像と音楽はアニメの特権といえる。内容も良かった。

あと基本的に「今ガチ」あたりの改変は良いものが多いと思う。特にゆきは、今後ほぼほぼ出てこないのにもったいないほど魅力的なキャラに仕上がっていたと思う。
逆に良すぎて心配になった事としては、B小町の扱いである。
推しの子本編では、以降そこまでアイドルとして活躍しているシーンは描かれないのだが、アニメ全体はとしてかなりアイドルものとしてプッシュされていたように感じた。
趣旨がズレないかと心配である。
これに関しては、原作の方がアイドルの要素が薄いと思うので、アニメでは原作にないB小町のシーン等を作ったりしても良いと思う。
もし原作に準拠した場合、アレ?となりそうなものである。

最後に

これまで長々と、推しの子二期が不安である理由を論じてきた。
繰り返しになるが、私の願いは推しの子という素晴らしい漫画作品が、そのまま素晴らしいアニメ作品になってくれることである。
ゆえに、推しの子の製作陣には奮起してもらいたいというだけだ。
本論が、そのための一助になれば幸いである。
もし現状の製作陣でそれが実現できそうにないのなら、どうか私を製作陣に加えてほしいものである


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