コメンテーターと顔

もう有料になって読めなくなったけど落合陽一のnoteで「ユーチューバーというただ目立ちたいだけに存在している存在が謎過ぎる!人生に目的とかないのか!ただ目立ちたいだけの存在ってって何だ!何でこいつらと仕事しなきゃいけないのか!ウワァー!ってなってる話がこの人こういう感情もあったのかって感じで面白かった。

前に本屋のキャンペーンで話題の新書の帯が全部落合陽一のでっかい顔写真になってる時があって何の嫌がらせだよと思いましたが、やっぱ顔だと思うんです。

テレビ千鳥で「コメンテーター表情選手権」っていう、千鳥たちがワイドショーにコメンテーターとして出た設定で、読まれるニュースにコメントするでもなくただニュースに合わせて難しい顔をするだけっていう見事な企画をこの前やってたんですけど、本質を突いてると思うんですよね。


究極、顔。
何かいろいろ難しいことをわかっているような態度。
アティチュード。

複雑な問題に対してものすごくわかったような顔してる人がいたら、その態度だけで多くの人が信じてしまうんじゃないかと思うんです。

その人が正しい意見を持ってるかどうかより、こんなにもこの問題にはっきり意見を持ってるなんてきっと正しいはずだ!と、中身より態度に先行されて信じてしまうと思うんです。
いや、究極を言うとその態度だけを見たい。態度に乗っかって消費したい。
でかい態度出してる側に回りたい。

最近の若手コメンテーターとか全部これだと思ってます。
「若いのにこんなにわかってる(感じ)なんてすごい!」という。
わかった態度に更に「若いのに」がつくからだと思うんですね。

そして大地震やコロナ、あるいはネットが二つに割れるような社会問題に際した時もこの態度を出してる人が大きく信じられてるのを感じます。
アルファツイッタラーでほぼ態度だけで有名になってる人は沢山いますし、その態度自体もネットのマジョリティの「我々の意見をものすごくわかったような態度で誰かに言ってほしい」という欲求の上にある事を掬い取って言うので、より増幅されるわけです。

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