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2023年に置いていきたい後悔

おはようございます。こんにちは。こんばんは。はっとりんです。
ずいぶん長い間noteを更新していなかったけど、そんな間に結構いろんなことがあったのです。

2023年月毎の一行紹介はこんな感じ。
1月 仕事ができなくなる、有給消化
2月 
折り鶴になる(※)、退職
3月 
実家で休憩、東京に戻ってバイト始める
4月 
バイト頑張りながらも生活が荒む
5月 
同上、大阪に帰ることを決める
6月 
実家で引きこもる
7月 
同上
8月 
同上、めまいを起こす絶不調の誕生日を迎える
9月 
前半は同上、アメリカ旅行、ちょっと動き出す
10月 
リゾバin青森県
11月 
リゾバin富山県
12月 
リゾバin岐阜県、身も心も健康体に戻る

※不健康に痩せすぎて久しぶりに友達と銭湯に行った時、サウナで体育座りする姿が開く前の折り鶴みたいに薄っぺらくて命名された。(現在そこから+約10㎏)


少し話は飛びますが、ずっと前に受けた研修か何かで過去の自分をどうラベリングするかが大切だと聞いたことがあるんです。起きた出来事は変えられないからそれをどう捉えるかが重要だ、的な話だったはず。(前後の話は覚えていないけど)

わたしは今まで自分の過去をいい感じにアルバムに綴じてきたつもりでした。多少の嫌な出来事でも少し時間が経てば笑えるネタに消化したり、「結果オーライやな」とまとめてみたりしてきたから、思い出すのが苦痛なほど嫌な記憶は少ないんです。

それなのに今回は違った。かなり時間が経った今も後悔がなかなか消えない。それで改めて、やっぱりあの時の自分おかしかったんだって思いました。

とにかくいろんな機能が停止して、自分を守ることに必死だったような。
そして自分が手放したものに未練を持つのが怖くて、それらすべてを遠ざけてしまったんです。
お気に入りだったカフェやお店のインスタのフォローを外した。社用携帯と間違えて自分のスマホで撮って保存されたままだった写真や動画を全部消した。通勤で聴いていたポッドキャストを聞かなくなった。

元気だった頃の自分が持っていたものを全部捨てたくなったのか、前と同じように感じられないのが嫌でたまらなかったのか。極端な自分の性格がここでも発揮されました。
たしかに極端だったけど、あの時はそうしないと無理だったんです。



そして年末を迎える今、やっと少し元の自分の感覚が戻った気がする。

そうすると次は「ごめんなさい」の気持ちがやってくる。心配してくれた人たちの優しさを受け止めるキャパがなくて拒絶したこと。
今更都合よく「はい、元気になりましたー!」って登場して、「あの時はすいませんでしたね〜!」ってケロッとできるはずもなく、ただ一人反省して自分の中で後悔を少しずつ消化していくのが精一杯。

多分この先もこの期間に生まれた後悔の思いは消えないと思う。人生2回目があればここはもう少し軌道修正したい箇所だなと考えながら反省している今日この頃です。

こうして自分の行動を振り返って自分なりに理由を考えて納得することを繰り返して、過去の自分を許そうとしているのだと思う。そうしないと良い思い出も残せないし前にも進めない気がするんです。
いい思い出も山ほどあったからこそ、それを全部なかったことにはしたくない。そのためにも、ちゃんと考えたり振り返ったり、思い出したりする。

今年一年は全然順調じゃなかったけど、意味のなかった時間はないはず!それを決めるのは今後の自分次第なので、またエンジン全開で頑張りましょう。
人生まだまだこれからってことで。よろしく頼んだ今後の自分!


「後悔」のラベルの上からなんか良いタイトルでラベリングできたらまた文章にしてやります。

p.s.
折り鶴時代もそっとしてくれて、元気じゃなくても遊んでくれて、動き出したら見守ってくれたオトモダチありがとう。


おかげさまで今は結構元気です。みんなまた会いましょう。
では、また。

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