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第4チャクラ講座アフタートーク


トニカク私どもは「忘却」の世界から「記憶」の世界に生まれてきて、そこを通ってやがてまた「忘却」の世界に溶け入って消えてしまうのです。ドンナ偉大な人物でもーーキリストでも、ナポレオンでも、ヒトラーでも、やがてはこの「忘却」という静かな、無限の夢の、死の世界に消えてしまうのであります。はかないモノです。あわれと言うもおろかなモノであります。

『宇宙の秩序 ー自然・人間・精神・社会を貫く法則ーー』(桜沢如一=著 日本CI協会=刊)より抜粋


みなさん、こんにちは!

ええええ!!?!? まだ書くのぉぉといわれてしまいそう、、、。
今日で5日目のアップです。
(みれいらんち、基本は月末にアップするようにしていて、
今日から6月なのにアップって、少しトゥマッチなのですが、
またここに降り立ってしまいました)

ホールでたった一人、誰もいないところで
独白を続ける、みたいな感じが否めなくないですが
勝手に話し始めようと思います。

といいますのも!!!
昨夜の第4チャクラ講座がッ!!!!!!!!
すすすすすすさまじくすごかった、、、、。
まだその余韻に浸っていまして、、、話したい、、となってしまいました。

これからご覧になる方、今回は見送った方、「第4チャクラってなに??」という方々みなさん全方位に、ネタバレなどがないように、かつわからなくないように
お話しできたらと思うのですけれども!!!!

、、、とその前に!

昨日までのブログ、誤解なきようにお伝えいたしますと、
例えばですね、明日またスタッフの誕生日会(持ち寄りパーティー)が
ランチ時にあるのですが、やっぱり「ハーピバースデーツーユー」と歌うには違いないです。そして全世界で歌っている人も本当に全肯定に違いないですし、過去に歌ってきた自分にNGを突きつけるものではないです。
(こんなこと書かなくても大丈夫だと思いつつ)

5月雑感で何をいいたかったかというと、これが年齢なのか、時代なのか、何なのかはわからないのけれども、自分なりに(あくまで自分比で)解像度が上がってきているというか、変わってきている、、ということなのです。

あまりにあたり前だったことがあたり前に思えなくなってきたりだとか、逆に、ある種の寛容さみたいなものが現れてきたり、、、年齢を重ねたり、時が経ってくるということ、、この時間のありがたさ、みたいなことも感じますですかね。すごくおもしろいです。衰えもあるけど、年齢を重ねるということの、視点の移り変わりを味わいたのしんでおります。

ハッピーバースデーツーユー問題でいえば、これからも歌い続けると思いますし、みんなで歌える歌があるってすごいことだとも思いますし、繰り返しになりますが、わっちが主に普段聴いている音楽の多くは、「洋楽」といわれるジャンルだったりです。それも変わらないです。でも、そこに、「環太平洋地域の母音を大事にする感覚」が、はっきりと戻ってきている、ってことも確かでありまして、、、
そこも抱き含めて、やっぱり、チャクラの智慧でいうところの「中庸」へ向かっていっているということなのかな。いろいろな位相(そうだ、パラレルフロウして!)を抱き含めて、魂の自分として表現していけたらすてきです。

いやーーー、kaiさん、すばらしかったですね。

第2、第3講座も凄まじくすごかったけれど、第4の核心への迫り方が!!!!
すごかったです。深くて広い。しかもあんな深い話を誰にでもわかりやすく、シンプルに伝えられる能力!! そしてめっちゃやさしい!!! kaiさんの深い理解と、やさしさに下支えされて、第4チャクラのしくみだったりを学ぶ大きな機会となりました。

傷の原因に振り返ったりするのは、一瞬しんどいですけれどもね(その理由も、『自分を愛する本』にあったきがします)、でも、「見る」「視る」ということがとても大事な気がする。その時は、「痛ーーー!!!」と思っても、でも、ちゃんと治癒ははじまっている。そんな気がします。

そうそう、わっちの超絶個人的な感想でいうと、年を重ねると(ってまだまだ未熟者ですが)、2つの愛のうちの、でっかいほうのことがよりわかるようになるなーって、昨夜思ってました。だから「わっかんねー」って思ってても、みんな年とるから大丈夫(笑)。心配ないですよーって昨夜は思っていました。もし今生でわからなくても、また来世でわかると思います。それもオツなものです。

あとですね、kaiさんのチャクラの説明には、「閉じすぎ」「開きすぎ」という説明、あと、それがさらにこじれた場合の「陰陽転化」というものがあるのですけれども、例えば、第4開きすぎの人(=すごく気を配って、誰かを助けなきゃと思って、奉仕しているようなイメージ)特有の、人の傷つけ方があるなーとか、第4閉じすぎの人(=こころを閉ざしている。世界を人を見下している、というような人のイメージ)特有の、やさしさってあるな、と。反転がある。

やさしい人特有のつめたさ。
つめたい人特有のやさしさ、ってことです。
(凹凸が強いと、視点が狭くなりがちだから、わからない!!ということも起こりそうですが、、)

凹凸でいうと

凹って、時にでっかいほうの愛みたいなのを発揮することがあるな、
凸って、すごくもうひとつのほうの愛を発揮することがあるな、

なんていうことも感じました。
まあ、昨夜のkaiさんの愛の説明が本当に秀逸すぎるから、、、
あまり詳しくはここでは書きませんが! 

そういうわけで
凹傾向のあるの人は、やはり、非常に現世的な、日常のこと、暮らしが大事
凸傾向のあるの人は、でっかい愛のことをいつも意識することが大事

かもなーーとか思ったりしました。
もちろんこんなにスッキリわかれるわけでもなく、マーブル模様で、誰もが、中庸へ向かえるといいと思いますが!

そしてそして、
決して、過去の自分というものを否定しないことも大事だなって思いました。
全部全部、必要なこととして起こっていて、

例えば
「あちゃーーー、第4開きすぎて、奉仕しすぎてたわー!!! 人を助けすぎてたーー!! ぎゃーー」と思ったとします。
でも、その「奉仕しすぎてた」かもしれない自分を絶対自分は否定しないでいただきたいなと思うんです。否定、全く必要ナッシングですよね!!

その時は、それも、「必要なこと」、バランスを取ろうとして行ったことだと思うんですよね。

閉じ過ぎでいえば、「あっちゃー、わし、すごい第4閉じすぎあるわ、、、これ、やばいかも」と思ったとします。

でも、閉じすぎることで、バランスとってたんですよね、きっと。
(あくまでわっちの考えで、これは、kaiさんの言葉ではないです!念の為。kaiさんはもっと上手に説明してくださると思います!)

だから、、、これまでの自分を絶対否定しない、そして、わっちがもっとも感動した「ジャッジ」という視点ですよね、、、、ジャッジしない、できる限り、ジャッジする自分に気づいて、ジャッジした側から、「あ、ジャッジしてる」と思って、ジャッジしたことも否定しないで、そのままにして、さああーっと、過ぎ去る、固執しない、、というところが大事なんですかね。

「自然農」っていうキーワードもすごくわかりやすかったです。
(kaiさんホントすごい!!)

自然農は、冷えとりとそっくりだなっていつも思うんですけれども、本当に、自然を信頼して、できる限り人間の手を施さない、、、冷えとりも、とにかく「起こること、これ、めんげんなり(好転反応なり)」として、粛々と冷えをとっていく、その先には、「こころの冷え(利己、強欲、傲慢、冷酷)」をとっていく、ということに太くつながっていると思うのですが、、、本当に、なんというか、井上博斗くんのトランスワークでいえば、自分の内なる自然と、外側の自然を合わせていく、その絶妙な塩梅(あんばい)みたいなところを目指していくというかですね、、、そこにわっちは、未来をよりゆたかに生きる鉱脈があると思ってます。

ただただ自己共感あるのみ。
何かあったらすぐに自己共感。

気づいたら9割。

そんなこともあらためて付記しておきたいなと思いました!

あたらしい6月!!
人間のすばらしいところは、じしんの解像度を上げていけるってことですね!
解像度があがると(気づきが起こると)、また日々の感じ方や行動も、自動的に変わってきますでしょうか!

そしてね、人の魂が輪廻転生しているとしたら、今、何歳だとしても、今、体験していることって、必ずアカシックレコードにも刻まれるし、自分の魂にも刻まれるし、ちゃんと、次にもっていけるんじゃないかという視点をもてる、このこともすごい力になるように思うんですよね。

この肉体での人生は一回きりですけれど、、、本当に、この地上での体験をどれだけ豊かにしていって、魂に刻めるか、ということかなーなんて思ったりします!

たくさんのみなさんと第4チャクラ講座、ご一緒できて本当にうれしかったです!


これから『kaiのチャクラケアブック』、『自分を愛する本』


これらにであうというかたも、どうかどうか、ご自身のペースでであっていただいて、「気づくだけで9割癒しが進んでいる」をポケットに、ぜひ、日々のご自身に活かしていただけたらなと思っています。

すべてのチャクラバランス、自身の過去の今のチャクラバランスに、たくさんの愛と感謝を、この場を借りて、送りたいと思います!!

最後に、冒頭からの抜粋の続きを少しだけ書かせていただきますね!

祇園精舎の鐘の音、盛者必衰の理、猛きものは衰え、形あるものはみな亡ぶのです。(中略)だが、こんなことを気にしてそのハカナイ命をたつにもおよびません。そのハカナイあはれな人生を、私どもはできるだけ面白く、好きなことをして送ればよいのであります。

それはただ私どもの来し方、いのちの故郷、元のすみか、すなわち私どものやがて必ず帰るべき方向、未来、行手をハッキリ見さだめた人にだけゆるされるのであります。

そんな人は、この世をただ楽しみ喜び、修学旅行の少年少女のように、楽しい夢のように、あそび楽しみながら通過することができるのであります。いかに楽しみ、喜び、おどりまわり、ハネまわっても自由です。

それができないのは(たとえば修学旅行の途中でオナカをこわしたり、汽車に酔ったりする少年少女たちのように)楽しい旅をする資格がないのです。
その人の罪なのです。シツケがなかったからなのです。
ムサボル心、胴慾をもっていたからです。
病気をするのは、ムサボル心、胴慾、つまり無知からです。
これを十数万人の病人を指導した私はハッキリ言い切ることができます。

ムサボル心、胴慾、剛情、高慢チキは弱い人の特徴でもあります。
それはすべて無知・低能から来ます。その無知・低能は、人間が生まれつきもっている知恵の光をよわめる、クモリから来ます。

私どもは、みな生まれつきリッパな知恵をもっているのであります。
ナゼナラ私どもは無限の世界、幽界、絶対、精神、神の世界から生まれたのですもの。私どもは神の、大宇宙、大自然の子ですもの、無限、絶対、神の相続者ですもの。これを忘れているから、(この有限の、物質の、不自由の、差別ある世界、ハカナイあはれな世界だけしかない、と思わせる教育をうけたから)です。これがクモリです。

『宇宙の秩序 ー自然・人間・精神・社会を貫く法則ーー』(桜沢如一=著 日本CI協会=刊)より抜粋*改行は、みれいです


わっちは、あたらしい世界には、本当に病気がなくなると思っていて。そのことについて日々観察し考察し実験しています。
病気があることが悪いことなのではなくて、何かの不自然さの現れ、メッセージ、またそれ自体が治療であって、そこから人は快復することができる、ということに
とてもとても興味があります。
自分の心身に起こったことの観察も含めて、、、、。



また書きますね!
歩みを止めず、コツコツと歩いていこうと思います!



ではでは!!
服部みれいどえしたー!



kaiさん、みなさん、ありがとうございます!!!!!




チャオは基本開きすぎていた、ものすごく最近まで


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