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まぁまぁマガジン24 本日発売日です!


みなさん、こんにちは!
今日、おかげさまで、発売日を迎えることができました!
mmbsが相当混み合ったようで、若干、遅れて届く方がいらっしゃるかも……
どうかどうかお許しくださいませね!!!(ニホさんシール、楽しんでいただけたらうれしいです)

今回、プリミ恥部さんの長きにわたる取材も終わっていたし、植原紘治先生と東京駅で取材をしたのはいったい何年前……という状態でしたから、正直、内心、たいへん焦っておりました。ところが2020年になって、小山内洋子さんとごくごくスムーズにお会いすることになって、インタビュー内で、まだ未発表の原稿の存在を知り、そちらの本のほうを先に進行した方がいい!!と直感したり、植原先生とも『わたしにうれしいことが起こる。』(徳間書店)の発刊を先にしようとか、どんどんほかの企画を優先させていただいたりして、まぁまぁ最新刊の発刊は、今になりました。

でも、こうしてフェスを経て、やっぱり今だった、というような気がします。無有無さんの妖精画や妖精詩を味わうのも、各インタビューを体感するのも。プリミ恥部さんの沖縄でのご様子や、ANSINエッセイを感じていくのも、わっちはやっぱり今だったというような感じがあります。

お待たせしていたみなさまには、ただただもうしわけない気持ちでいっぱいですが、それでも! 本当に発刊できてよかった。今回は特にそんなことを思う号となりました。

マーマーマガジンは、2008年に創刊しました。その準備は、2006年から……厳密にいうと2000年過ぎくらいからもう内的には発酵みたいなものがはじまっていたように思い出しますが、あの頃は、「雑誌を創刊するんだ」という熱い思いひとつで、何か、ひたすらに、マラソン選手みたいに走り抜いていたように感じます。


ところが、2011年、東日本大震災のときのことです。すっかり、わからなくなってしまったんですよね。雑誌をつくる、ということがどういうことなのか。
むちゃんこモヤモヤしました。モヤモヤしたまま雑誌をつくれず、当時のクライアントさんに待ってもらって、時期を伸ばしてずっと考え続けました。

そうして、こう、「企画会議」みたいなのを経て、意図的につくるんじゃなかったらつくれるかも……超個人的な自分の体験と感想を書くならできる、というところに数か月かけて行きつきました。

それまでは、ある意味でクライアントの意向、とか、時代の方向性、社会の何か、とか、いろいろなことを「読んで」なんなら「忖度して」つくっていたわけですね。そのことにものすごく、猛烈な、白け、というか、鼻じらむ、、興醒めする、そんな気持ちがありました。何に、興醒めしたのか。こう、意図する感じ、忖度する感じ、「読む」感じ。もっと言えば、「気を遣う感じ」。そういう何かに対して


ダッサーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!

となってしまったのです。当時は、原発の事故もあり、本当にもう個人の意見を言うしかないなという思いもありました。会社とか社会とかそういうの背負ってたら何にも言えんわと(言える人もたくさんいるのでしょうが、わたしは、組織を背負って、何か言えるほど偉くもなかったし、責任おえないわ、と感じてました)

でもね、わっちが個人的に見て感じたことなら書いていいでしょう、と腑に落ちたんです。そうしてできたのが『マーマーマガジン』13号でした。


(amazonで中古売ってました)

この号から、はっきりと、わっちの編集の方向性が変わってしまったと感じます。そうしてそれは今日発売の『まぁまぁマガジン』までずっと変わっていません。

その後、わっちは、中島正さんの『都市を滅ぼせ』という本に出会い、美濃への引っ越しも決めていく(発信していることと、暮らしとを同じものにしていこうと)そんな流れができていくわけですが……。

わっちは、何かはよく解らないけれど、雑誌を創刊するとある時から思って、取り組んできたけれど、どこか、ぼんやりしたところがありました。どこか本質的じゃなかったというか。「こんな感じ」とモヤモヤした手探りでつくってたところがあった。恥ずかしながら。

そういう全体をひっくるめて「都市的だ」と言ったらまた怒り出す人がいるでしょうか? でもね、構造をちゃんと知ったら、やっぱりわっちたち、「都市的」なものがもたらすある種の過剰さに、ものすごい人間性だったり自然だったりをスポイルされていると容易にわかるんです。そうしてね、雑誌という存在もまた「都市的である」という自己矛盾。

わっちは、ずっとずっとこの矛盾と向き合いながら、同時に、気をつかわず、意図せず、忖度しないで、空気を読まずに(ある意味で)、つまりは「都市的」なものからできる限り離れ、わっちが純粋にどう感じるのか、何を考えたか、に向き合って、それを表現し続けてきたと思います。

まだまだ、社会、集合的無意識に引っ張られる自分があたりまえにいます(毎秒追いかけてくるんだから仕方がないんですけれど)。

それでもね、新聞読まない、テレビ見ない、大都市に住まない、土に近い暮らしを愛する、日々の自分の五感を信頼する、心身ともに純粋さを保つ、というような暮らしをしながら雑誌をつくったり本をつくる、ということは、わっちにとって大きな慰みであり、大事な生きるための活動です。

なぜなら、今、わっちがこうして行っている活動をしていなければ、あの2011年の時の気づきは、後悔は、あのあと味悪い感覚はいったい何だったのか、となる。
わっちは、もう、後悔したくないんです。わっちが1人できることなんてたかが知れてるけれど、でも、わっちは、社会や集合的無意識にどっぷり浸かって、誰かを大いに傷つける側に無意識で立っていたくない。

わっちの表現だったり、まぁまぁだったり、本だったりが「スピ」的だと感じられる方もいらっしゃると思います。実際スピ的なことも書いたり紹介したりしますし、わっちは、垣根なく、なんでも好きです。ロックバンドにもしょうもないバンドから信じられないくらい精度の高いすばらしいバンドがあるように、スピだってしょうもないスピからすばらしいスピもあります。ゴルフだって、映画だって、料理だってなんだってそうでしょう。ジャンルで何かをジャッジするという気持ちはないし、また、なんといわれてもわっちは痛くも痒くもないです。

そんなことはどうでもいいことで、わっちは、ただただ、自分に後悔したくなくて、自分にとって今できる最善のことを紹介したくて、何より、集合的無意識から目覚めて、もし、世界の大転換期にいるのならば、すみやかに次のフェイズへ行けるような、何かそんなヒントを探し続けたいなと、ただそれだけを感じています。そこに忠実にありたいんですよね。

世界が激動する中、雑誌つくるの、ぜんぜん簡単じゃないです。答えもないです。
拠り所が自分しかないんです。でも、こんなにエキサイティングで、挑戦しがいがあって、自分をかけるかいのある仕事もないなとあらためて感じ入っています。

今回の号は、本当に、わっちとしてやりきった、何か、自分にとっても重要な号となりました。誰がなんといおうと、わっちはこの号をつくる必要がありましたし、出せることができてうれしい。読んでくださる方がいて心底誇らしいです。わかる人にはわかる。わからない人にはわからない、そんな号になったかも、しれないです。


そうそう! 今回の号から正式にお取扱店さんになってくださったSeptember Poetry矢野悦子さんが、まぁまぁのこと取り上げてくださいました!




ものすごく感動しました。
悦子さんのような感度の高い方に、ちゃんと、野太く伝わっていることに、本当に胸がいっぱいになりました。とてもとても誇らしくうれしいです。

そうして!!!!
わっちは、またあらたにいろいろな企画に胸を膨らませています。

その一つが、今回の号の次号予告にもあるように、鎌倉のkaiさんのチャクラ講座を本にすることです。ご存知の通り、2冊の本が進行中なのですが! 
わっち、どうしてこんなに日本人がおとなしいのか、よく暴動が起きないなあなんてニュースを垣間見て(重要なニュースは入ってくるものなんですよね)感じていたんですけれども、チャクラが閉じまくったり開きまくったりしすぎているからかも!!!!!!!と、最近では特に感じたりしています。
第2チャクラ、第3チャクラ……。もう誰かの意図なんじゃないかと思うほど、、ものいえぬ感じに圧がかかっている、と思えなくもないです(まだ検証中ですが)。

そうそう、今回はね、詩は、
ホイットマン、ゲーリー・スナイダー、八木重吉などなど。かなり個人的なセレクトとなりました。谷川俊太郎さん書き下ろしの詩もすばらしいです!
若者の詩人の白さん。読者さんからは、古金谷あゆみさん、あすかさん(10歳)といった方々の詩もあります。歌詞からは、奇妙礼太郎さん。
詩どうしのシンクロも、じんわり、起こるようになっていますが、気づいていただけたらうれしいです。プリミ恥部さんの最新詩もたっぷり掲載されていますですよ! どうぞどうぞたのしんでくださいませね。

詩も、これからますますたいせつになっていきますよね。

そうだ、詩といえば、今回、詩の掲載にあたり、出版社の方々とやりとりしていくうちに、今回掲載したある詩の詩集をつくったのが結局は自分の本の担当者さんだった、みたいなオチがあったり、制作過程でも、大どんでん返しみたいなことの連続でした。あっちとこっちが繋がってたわん! みたいなこととか(そうしたら、「服部さん、もうそういう年齢になってきたんですよ、、」とベテラン編集者さんにさとされましたが)。編集の工程もミラクル続きで大きな旅をしているかのようでした。

ホント、続けよ、怠るな、に、つきますね!(植原紘治さんが釈迦から教わったことばです)


では! まぁまぁ24、存分におたのしみくださいませ!

わっちは、しばらくおやすみをいただきまして、
また、鋭意活動に戻ろうと思っています!
そのときには、またひとつ、あたらしい自分になっていますでしょうか。


ますますすばらしい冬の日々をお過ごしくださいませね。



服部みれい、ど、え、したッ!!!


チャオッ





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